カテゴリー:CD/映像

CDノイズ

2009年2月9日 (月)

昨晩CDを聞いていた。もちろん古楽器の演奏で、バッハのカンタータだ。ところが、CDの最後の方に入っている曲になると、1秒に2回ほど雑音が入る。ザラザラしたノイズ。FMのホワイトノイズに似ている。それが1秒に2回、ということは、0.5秒毎に入る。どうやらCD盤のある場所に問題があるようだ。

CDをプレーヤーから出して調べてみた。解説の紙が一部剥がれてCD盤のレーベル側に付着しているところがあった。CDの外側なので、CDの終わりの方でのノイズ発生と符号する。そこで、CDを食器用洗剤で丁寧に洗ってその部分を綺麗にした。乾かしてからCDを聞いてみたが、現象は変わらずだ。

今度はCDの記録面の方を調べてみた。驚いたことに、CDの外側の一部分が、約1mm間隔で針で突付いたように黒くなっていた。CDの一部に鉄粉をまぶしたような感じだ。原因はこれだ。これではCDのエラー修正能力を超えたエラーが発生してノイズが出るのだ。

今度の疑問は、何故CDがそのようになったか、だ。解説の紙が剥がれたところの部分の臭いをかいだところ、吐き気がこみ上げてきた。原因は・・・猫のオシッコだった。

猫の尿はアンモニア成分が強いそうだ。CDのアルミ蒸着部分とプラスチック部分の隙間から猫の尿が入り込み、強いアンモニアで一部に異常が発生した、というのが私の結論だ。
CDを買いなおさなければならないが、まだ市販されているかどうか、それが問題だ。

ショルティ/シカゴの「イタリア」

2009年2月8日 (日)

一昨日の夜、CS音楽放送のクラシカジャパンでメンデルスゾーンの「イタリア」を聴いた。演奏は、ゲオルグ・ショルティ/シカゴ交響楽団。演奏会の収録画像で、1976年オーケストラ・ホール(シカゴ)の映像だ。いまから約33年前の古いモノクロ映像だ。

ショルティは眼光鋭い。あの目で射すくめられたらオーケストラ団員は萎縮してしまうだろう。しかしその棒は良くなかった。指揮の動作が速すぎ、一拍一拍がパチッと決まりすぎてしまう。それが穏やかな楽章でそうなのだ。あの棒ではメンデルスゾーンらしい「歌」は歌えない。また表現の幅が非常に狭かった。単にダイナミックレンジが変化するだけ。表情の変化は、弦楽器のヴィブラートの深さだけなのだ。この曲の緩徐楽章に欲しいニュアンスの変化は皆無だった。

それから非常に気になったのがリズム。小節の最後の拍がほとんどいつもほんのちょっとだけ短いのだ。オケはシカゴ響で、ホルンのトップは名手クレベンジャーが吹いていた。彼のメヌエット・トリオのソロもそう。いつも最後の拍が短いと、聴いていて非常に落ち着かない。先へ先へせき立てられる感じになってしまう。

私の感じた表現の幅の狭さは、録音の時代が古すぎるせいかもしれない。今の時代なら同じシカゴ響でも違うかもしれない。しかしアメリカのオケだから今でもニュアンスの幅は狭いのかもしれない。なにせアメリカのオケの演奏しているCDは家にほとんど無いのでわからない。

それからリズムが気になったのは、私が古楽人間であるせいかもしれない。モダン楽器のオーケストラでは、遅れることは罪悪なのだ。一方、古楽の世界では、飛び出す(先へ行ってしまう)ことは罪悪なのだ。古楽の視点に立つと、あのような演奏は私にはリズムが耐えられない。フルオーケストラを聞くには、私の頭をモダンにリセットしてからでなければならないようだ。

ロッシーニ/試金石

2009年2月2日 (月)

先日、CSチャンネルのクラシカ・ジャパンで見た、ロッシーニ20歳のオペラ「試金石」について。先ず冒頭に度肝を抜かれる。舞台に、顔を青いマスクで覆った人物が登場するのだが、舞台上に設置された横長のモニター画面には、首から上の無い人間として映っている。すぐに、これは画像処理の画面とわかった。背景としてミニチュアセットの映像がある。それと、実写を重ねる。青い色の部分は、すべて透過色として背景のミニチュアセットの映像となる。透過GIFファイルと同じ原理と思えば良い。たとえばミニチュアセットの中にテニスボールを置き、舞台に椅子を置いて青いカバーをかける。そこに座って歌う人は、上に設置されたモニターには、大きなテニスボールに座って歌う人になるのだ。この画像処理のおかげで、まったく飽きないオペラだった。

いや、画像処理が無くても良い演奏だった。秀逸だったのは、コントラルト(低音アルト)のソーニャ・プリーナ。古楽の歌い手らしい、すばらしいテクニックだった。

また指揮とオケが良い。指揮は、ジャン=クリストフ・スピノージ。クラシカ・ジャパンサイトには次の紹介記事があった。

ジャン=クリストフ・スピノージ
1964年コルシカ島生まれ。ヴィヴァルディの研究と演奏で評価され、ヴァイオリニスト&指揮者として活躍。91年創設のアンサンブル・マテウスは曲によって5人~35人のオリジナル楽器またはモダン楽器を使用する若い演奏家で構成。スピノージは『試金石』の成功を受けて2010年ミラノ・スカラ座『セビリアの理髪師』を指揮する予定。

古楽演奏家らしい、きびきびとしたテンポ設定と音楽運びだ。オケはアンサンブル・マテウス。初めて聞く名前だが、古楽器オケだ。ロッシーニを古楽器オケで聴くのは初めての経験だ。

ロッシーニを調べたところ、1792年生まれ。ほとんど最後ではあるが18世紀生まれなのだ。私はもっと後だと思っていた。このオペラは20歳のときの作品、ということは、1812年の作品だ。1812年は、ハイドンが死んでまだ3年しか経っていない頃。ベートーヴェンで言えば、交響曲第7番が作曲された頃だ。まだまだ古典の時代だ。ということは、楽器はクラシカル楽器で演奏できるはずだ。この演奏、クラリネットはいかにもクラシカル楽器風の音色だった。が、オーボエはあまりクラシカル的な響きではなかった。

ともかく、ロッシーニの若いときのオペラを若く有能な指揮者の演奏で、かつ画像処理付き画面で見る、という、大変面白い時間だった。

ケント・ナガノのライン

2007年8月16日 (木)

一昨日の記事ケント・ナガノのジュピターの続編。

昨晩深夜、CS放送のクラシカ・ジャパンで次の放送を見た。

シューマン:交響曲第3番変ホ長調『ライン』
[指揮]ケント・ナガノ
[演奏]ベルリン・ドイツ交響楽団
[収録]2005年フィルハーモニー(ベルリン)、約45分

前半がナガノの解説付き映像、後半が全曲続けての演奏。私が見たのは後半だった。

一昨日の記事で私は次のように書いた。

私は古楽器愛好家なのでモダン楽器のオーケストラはあまり聴かない。ただ一部の指揮者の演奏は聴く。その指揮者の共通点は、声部の明瞭な分離だ。つまり各声部がクリアに分離されすべての声部が聞き取れるような演奏のことであり、私はそのような演奏が好きだ。

ケント・ナガノは私にとってそのような指揮者の一人である。彼のメシアンのCDはたまにではあるが聴いている。

今回の『ライン』も、各声部がよく分離して聞こえた。シューマンの交響曲をこのように演奏することは非常に難しい。その分離の良い理由は、フレーズ最後の音の処理にある。最初の数小節を聞いてそれがわかると同時にちょっとがっかり。というのは、シューマンをこのように演奏することは恐らくデイヴィッド・ジンマンが始めたことであり、その延長上にナガノの演奏はあるからだ。ジンマンのシューマンの呪縛からはナガノといえども逃れることができなかったのか。それなら一昨日のジュピターももっと古楽器を意識すれば良かったのに。それが私のがっかりした理由だ。(古楽器でロマン派の音楽を演奏することはガーディナーが始めたことだが、シューマンを古楽器的にモダン楽器オーケストラで演奏することはジンマンが最初だと思う。)

デイヴィッド・ジンマンの古楽器を意識した演奏と比較すると、ナガノはジンマンほどは古楽器的ではない。しかし要所のフレーズの最後をきちんと減衰することで、見事に各声部が聞えてくる。またナガノの演奏はナガノらしく理知的で整っている。もちろん音楽は最終的にはナガノのものでありジンマンとは全く異なってはいる。

オーケストラは一昨日の記事のジュピターと同じだが、コンサートマスターや管楽器の一部は別な奏者。今回の『ライン』のほうがオケはかなり上手いし、手馴れた感じがした。ベルリンの人間にとってモーツァルトよりはシューマンの方が自分たちの音楽なのかもしれない。ただオーボエはジュピターとは別人だが、ドイツの音色では全くなく、非常に軽い音だった。そしてその楽器もドイツではあまり使用されないシステム(セミオート・システム)だった。ドイツのオケは普通はフルオートなのに。これはちょっと意外だった。

さて、このブログmoMologueには前身のブログがある。昨年、2006年1月16日にその前身ブログにジンマンのシューマンについて書いた。それもご覧いただければ幸いである。

ケント・ナガノのジュピター

2007年8月14日 (火)

昨晩、CS放送のクラシカ・ジャパンで次の放送を見た。

モーツァルト:交響曲第41番ハ長調K551『ジュピター』
[指揮]ケント・ナガノ
[演奏]ベルリン・ドイツ交響楽団
[収録]2005年フィルハーモニー(ベルリン)

ナガノの曲目解説付き映像だった。

私は古楽器愛好家なのでモダン楽器のオーケストラはあまり聴かない。ただ一部の指揮者の演奏は聴く。その指揮者の共通点は、声部の明瞭な分離だ。つまり各声部がクリアに分離されすべての声部が聞き取れるような演奏のことであり、私はそのような演奏が好きだ。

ケント・ナガノは私にとってそのような指揮者の一人である。彼のメシアンのCDはたまにではあるが聴いている。

さてこのジュピターの演奏だが、この曲をナガノが入念に研究した跡がよくわかる演奏だった。ナガノの解説によればこの曲はさまざまな対比があり、その対比をモーツァルトが天才的手腕で統合した箇所が随所にあるとか。正反対の概念とその統合、という言い方もできるかもしれない。確かにそのような観点から入念に計算尽くされた非常に知的な演奏だった。オケ団員もナガノの音楽を汲み取り表現しようとしていることも良くわかった。

ただオケがそれほど上手くないのは残念。音が濁っている。番組中のインタビューで団員はナガノが透明な音色でに演奏したいことはよく理解していたが、出てきた音は透明ではなかった。

またインタビュー中でフルート奏者が、フルートは少しピッチを高く取ることの効果を話しており、そのとおりほんの少し高めに演奏していた。これは古楽器愛好家の私にとっては大変残念。古楽器奏者にとっていつもピッチを高く取るモダンフルート吹きは「天敵」のような存在。古楽器の世界ではいつも少し高め、はありえないからだ。まあ、この演奏はモダン楽器による演奏なのでこの点は批判できないかもしれないが。

驚いたのはチェロ。一瞬だが、古楽器の音がしたからだ。裸ガット(金属を巻いていないガット弦)のような倍音豊かな音がしたのだ。その後のチェロ団員のインタビューを見てその理由はわかった。このオーケストラは古楽器界の巨匠、アーノンクールが振ったことがあったそうな。そしてそのチェロ団員は、そのときの古楽器奏法と通常のモダン奏法の中間くらいでこのナガノ指揮ジュピターを演奏したとか。

それにしてもナガノは演奏がそうであるように非常に知的な人物だ。(少し暗いが。)スコアを入念に研究する指揮者のようで、彼自身の曲目解説でもその研究の深さはよくわかった。例えばひとつひとつのフレーズの意味をすべて考え抜いているようだった。

古楽器オケなら、指揮者はこれほど研究しないだろう。古楽器奏法に則って「普通に」演奏すれば、「モーツァルトらしい」演奏になってしまうからだ。(なにをもって「モーツァルトらしい」と定義するかはここでは述べない。)片やモダン楽器オケでは考え抜かないと良い演奏ができない。このあたりがモダン楽器によるモーツァルト演奏の難しさかもしれない。

 

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