カテゴリー:世相批判

防災無線の怪

2007年7月27日 (金)

巷のうわさでは、Z党は政府とグルになって明後日の参議院選挙の投票率を下げることにやっきになっているらしい。

7月20日の中日新聞記事によれば次のとおりだ。

総務省は20日、参院選(29日投開票)で全国5万1743カ所の投票所のうち、28・7%に当たる1万4840カ所で、午後8時の投票締め切り時刻を繰り上げると発表した。

「平成の大合併」で自治体の面積が広がり、開票所への投票箱の運搬に時間がかかることから、開票開始時刻に間に合わせるよう終了時刻を早める自治体が多いためとみられる。

開票時間のために投票率を下げる行為をとるとは本末転倒だ。ひとりでも多くの投票を促すのが彼らの仕事のはずなのに。3割近い投票所が投票率を下げる行動とは異常事態。

私の嗅覚は、これはZ党の凋落を防ぐための仕組まれた行動、と見る。そのもうひとつの証拠が、私の住んでいる場所の防災無線。

この防災無線は昨年から毎日うるさい放送が続き、私はうんざりしている。このブログでもそのことについて防災無線のうるさいゐなかの私という記事と、防災無線のうるさいゐなかの私2という記事に書いている。

毎日うるさい放送が始まる以前、選挙が近づくと毎日のように選挙管理委員会から放送があった。内容は、選挙日と期日前投票のお知らせ。記憶は定かではないが、投票日の1週間前くらいから投票日まで毎日放送があった。

それなのに、今回の参議院選挙ではその放送はまだ1回も無い。

放送がうるさいという苦情があって放送を止めたのではない。それが証拠に、車上狙い警告や農薬散布のお知らせは時々ではあるが相変わらず放送されているのだ。もちろん教育委員会からの無意味な内容の放送は毎日放送されている。

今回だけ選挙に関する放送のないことは異常だ。ということは、今回の選挙は投票率を上げたくない勢力が各選挙管理委員会に圧力をかけているのではないか、または選管側が政権党を慮って行動したのではないか、と私は思っている。

一般に、投票率が上がると浮動票層・政党支持無し層の投票が増えるので、それらの層は今回はZ党批判層と見なして政権側は投票率を下げる行動に出たのだろう。しかし市民を甘く見てはいけない。投票率が低いときに必ず投票に行くのは政権批判層なのだ。投票率を下げたことが返ってZ党批判率を上げる可能性があるのだ。

29日の投票率、そして選挙結果が楽しみだ。

「彦根のバカ市長」訴訟とWikipedia

2007年7月20日 (金)

「彦根のバカ市長」記事を書いた週刊新潮が当の市長から名誉毀損で訴えられていた裁判の判決が昨日(7月19日)あった。

この訴訟は、Wikipediaの彦根市の「行政」カテゴリー記事によれば次のとおりである。

# 市長:獅山向洋
# 2006年10月25日に市職員に対する新処分基準を発表、11月1日に導入。飲酒運転で人身事故を起こした場合原則懲戒免職とするなど厳罰化が図られる一方、獅山市長が憲法38条(何人も、自己に不利益な供述を強要されない)を根拠に「飲酒運転の報告義務は憲法に違反する」とし市への報告義務を削除した。このため倫理観や実効性への疑問などから各方面に波紋を広げ、11月24日までに市役所に電話や電子メールでの問い合わせが473件あり、うち9割以上が批判または批判的意見であった。なお同市長は批判に対し、滋賀九条の会呼びかけ人、弁護士、元検事であることからか「憲法に従ったものが社会常識」「市民には憲法感覚を磨いてほしい」等「間違ったことを言っているとは思わない」「法律論を言っているだけ」という立場である。
# 週刊新潮が11月9日号において、上記の件を批判した上で「報告義務付けは憲法違反と言った彦根のバカ市長」と題した記事を書いた。この記事に対し市長は「自分が『バカ』だという事実はない。関西人なので『バカ』は『アホ』よりも名誉棄損の程度が著しい」と語り、名誉毀損として2,200万円の慰謝料と、中吊り広告上での謝罪を求める損害賠償請求訴訟を起こした。

そもそも市長の論理には無理があると思う。飲酒による人身事故を起こした市職員が市へその報告義務はない、とするのは「憲法38条(何人も、自己に不利益な供述を強要されない)」の解釈の乱用と思う。もし憲法38条を全面に出せば、履歴書に自分に不利なことを書く必要が無い、ということになってしまう。この条文は市民の権利を守るために極めて重要とは思うが、拡大解釈は返ってこの条文の価値を下げてしまう。

それはともかく、市長に対し「バカ」とは週刊新潮も下品とは思うが、批判に対し名誉毀損で訴える市長も過剰反応と思う。大津地裁の判決は、朝日新聞の記事「バカ市長」記事、甘受すべき批判 彦根市長の訴え棄却によれば次のとおりである。

判決は、「彦根のバカ市長」の見出しについて「侮蔑(ぶべつ)的で品を欠く表現」としたが、「地方公共団体の首長の公人としての発言や行動に対する批判、論評は、前提となる事実が真実である限り、原則として自由」と述べ、記事に違法性はないとした。

 また、当時、公務員の飲酒事故が全国的に問題化し、厳罰化を求める世論が高まっていたことを踏まえ、「(厳罰化に)あえて反対意見を述べ、厳しい批判にさらされるのはやむを得ない」と指摘した。

市長は公人であり公人が公人として発言した内容に対する批判は真実なら自由、としたこの判決は当然である。最近は当然が当然でない判決も多いだけに喜ばしい。ちなみに私は公人に対する批判が自由、としたこの判決を支持しているのであって、極右の週刊新潮の側には立っていないことは明記しておく。

直前の行で「公人が公人として発言」と書いたが、公人の公の場の発言は当然公人としての発言である。発言がそうなら行動もそうだ。

世の中の保守政治家共は、「私人として靖国神社に参拝したから問題ない」などと非論理的なことをのたまう。議員という公人が靖国神社という極めて政治的な場に参拝する、という行為は当然公人としての行動であり、「私人として参拝」は有り得ない。公人たる政治家がマスコミの目に触れる行為はすべて公人としてのそれになる、という基本的ルールを無視し、都合の良いように公人・私人を使い分ける「バカ政治家」には強い憤りを覚える。それを指摘しないマスコミもおかしい。

さてこの記事の最初にWikipedia記事を引用した。実は現在はWikipediaの同じページの同じ項目の内容は変更されているのだ。現在のWikipediaの彦根市中の「行政」カテゴリー記事には次のように書かれている。

* 市長:獅山向洋
* 2006年10月25日に市職員に対する新処分基準を発表、11月1日に導入。飲酒運転で人身事故を起こした場合原則懲戒免職とするなど厳罰化が図られる一方、獅山市長が憲法38条(何人も、自己に不利益な供述を強要されない)を根拠に「飲酒運転の報告義務は憲法に違反する」とし市への報告義務を削除した。しかし、倫理観や実効性への疑問等から11月24日までに市役所に対して電話や電子メールでの問い合わせが473件あり、うち9割以上が批判または批判的意見であった。

なんと、現在は「バカ市長」の記述が消えている。先の引用はGoogleの今年6月30日、つまり20日前のキャッシュである。キャッシュの記事と現在の記事では筆者が異なるか方針変更のように思う。「バカ市長」とWikipediaが揶揄したわけではないが現在の筆者はその表現を不穏当と考えたのか。このあたり、Wikipediaの編集方針の変動が感じられ面白い。Wikipediaは果たして「衆人の叡智」か「衆愚の知恵」か。もっと政治的なテーマで編集方針の変動を検証してみたい。

(ちなみにこの市長さん、判決を不服として上告するらしい。)

候補者の顔

2007年7月14日 (土)

29日が投票日の参議院選挙について。現在衆議院は小選挙区制となっている。この利点は、市民・国民の多数意見を強調する選挙制度、ということだろう。欠点は利点の裏返しで、死に票が増えることだ。衆議院がそうなら、参議院は「良識の府」にふさわしく市民・国民の意見をなるべくそのまま反映した議席数が望ましいため、比例区のみとするのが適当、と考えられる。ところが現在の参議院の選挙制度は、選挙区と比例区の二本立て、という中途半端な制度になっている。

誰に投票するか決める際、比例区は死に票が少ないため私は弱小政党を優先し、人物でなく政党の主張で判断している。

しかし参議院の選挙区、これが困り者だ。選挙区は、選挙制度的には中選挙区だが定数は小選挙区に近い思う。ということは、死に票が増えるため、票を有効に行使したければ二大政党から選ばなければならない。そう思って我が選挙区を見ると、入れたい候補者がいない。

私のように田舎に住んでいると、候補者が演説する場に遭遇する可能性は皆無に等しい。選挙公報はまだ来ないし、いまの判断基準は候補者の顔と経歴である。それらの情報は新聞から得られる。候補者の顔は結構重要な判断のファクターである。以下、我が選挙区の候補者の顔と経歴に対する印象である。(選挙公示後なので政党名は明示しない。)

  • Z党
    いままでにこの党の候補者に投票したことがないし今後も入れる可能性はゼロのため、パス。それにしてもZ党の議員はなぜ皆同じように権力欲・金銭欲・(そして人によってはH欲)に満ちた愚劣な顔つきなのだろうか。まあ、「国民」の代表と思えば納得ではあるが。
  • M党候補者A
    顔がZ党候補者のような、権力欲に満ちた顔。ちょっと投票したくない。
  • M党候補者B
    労組のたたき上げ。衆議院なら良いが「良識の府」参議院に労組出身はふさわしいとは思わない。顔も凡庸。
  • K党
    戦闘的な顔つきのおネェちゃん。ちょっと勘弁。
  • S党
    無神経そうなドおばさん。「良識の府」向きではない。
  • KS党
    学者なのに知性を感じさせず、変な色気があって気持ち悪いおばさん。

以上のとおりである。「国民」の代表の衆議院なら上記のような候補者も止むを得ないが、「良識の府」参議院にふさわしい候補者は一人もいない。これは政党側の責任が大である。これは、政党側が参議院を「良識の府」とは見なしていない、ということだろう。しかし「国民」の代表たる衆議院の暴走を防ぐためにも、参議院は良識の府として復活しなければならない。それなのにこの候補者とは。投票日まで悩む日が続きそうである。

(このブログでは、政治を論理的に考えることのできる人を「市民」、考えることができずに感情・ムードで政治を判断する愚民を「国民」と記している。)

立花さん、どうしたの?

2007年7月2日 (月)

6月29日付けの日経BPnetサイトにに立花隆氏の記事女子高生も「経験不足」と嘆く 未熟な安倍首相よ、政権を去れ!が掲載された。

この記事の結論は次のとおりである。

いずれにしろ、この未熟な総理大臣には早く退場してもらいたい。最近の強行採決の連発を見ていると、こんな人を首相にしておいては、日本は壊れてしまうと思う。

この結論にたどり着くために立花氏は2つの論を展開している。ひとつは、

やることなすこと裏目裏目と出てしまう

阿倍首相の政治センスの無さを事実とともに述べている。そしてもうひとつが、中高校生の政治感アンケートの引用。

問題はこの後者だ。立花氏は次のように述べている。(一部を引用。)

最近の週刊朝日にのっていた、
「アンケート調査でわかった、いまどき中高生(12~18歳)『笑撃』の政治観」
の安倍評が面白かった。これは携帯コンテンツサービス会社の「メディアシーク」がケータイで行ったアンケート調査の結果で、正規の社会調査というにはほど遠いいいかげんな調査だが、それだけにかえって面白い。

驚きは、「誰に首相になってほしいか」の問いに、「安倍首相のままでよい」とする人はわずか5%しかいない。それに対して、圧倒的多数(32%)が、「小泉純一郎」の名前をあげている。
安倍首相の5%は、「東国原英夫」の9%の半分程度で、「爆笑問題・太田光」「島田紳助」「田中真紀子」のいずれも4%とほとんど肩をならべる支持率である。要するに、安倍首相は、太田光、島田紳助程度の評価しか受けていないのである。

不支持の理由として、具体的には、

「内閣に不祥事が起きても弁護してばかり」

「なにがしたいんだかわかんない。うつくしい国って何なんですか!?」
いった答えが出てきた。
なかには
「明らかに経験不足」
という声もあった。女子中高生にまで「経験不足」と指摘されるようでは、安倍首相の評価も地に落ちたというべきだろう。

この調査を「正規の社会調査というにはほど遠いいいかげんな調査」といっておきながら、全8ページの記事中この話題を2ページ弱、述べている。

そしてこの部分の直後に、立花氏は次のように述べている。

つい先日、ある新聞記者の訪問を受けて、2時間ばかりのインタビューを受けつつ、なぜ安倍首相はあれほどダメなのかを語り合った。
結局、たどりついた結論がこの女子中高生の評価と同じだった。
「経験不足」
の一語につきるということである。

立花氏の論の立て方としては、立花氏と某新聞記者が論じて出した結論の阿倍首相「経験不足」説の論の補強が、中高生の出した阿倍首相「経験不足」評価、ということだ。

あたりまえのことだが中高校生には投票権は無い。それは、彼らはまだ自立しておらず、また政治を考える能力が無いから、だからだろう。その彼らが雰囲気として感じている阿倍首相への評価に、何の意味があるのだろうか。中高生の下した阿倍首相「経験不足」説にしても、彼らの思考の産物ではあり得なく、聞きかじったマスコミや親の意見を代弁したに過ぎないだろう。

結果として立花氏のこの記事は、論としては全く無意味な引用を含むのみならず、その引用内容が面白おかしいだけに阿倍首相「経験不足」を感情的に煽るだけの劣悪な記事になってしまっている。論理・思考に基づかない評価(中高生の評価)を自分の説の補強に使うことで自分の記事が中高生と同じレベルになってしまうことに気が付かないのだろうか。そしてそのような感情的に煽るという行動は、マスコミ人としては禁句の行動であることに気が付かないのだろうか。

立花氏を私は以前は日本の知性を代表するひとりと思ってきた。しかしこの数年、彼の書いたものに疑問をもつことが多くなってきた。非論理的な論の展開が目に余るようになってきているのだ。今回のこの記事もその類型だ。

もしかすると私が彼を日本の知性と思い込んでいただけかもしれない。今度、立花氏の書いた古い書籍を読み直してみる。そして彼が昔から非論理的なら、それに以前は気が付かなかった私の負けだ。そのときは彼の本を全部捨ててしまうことにしよう。

本来なら私の今日のブログはこれで終わりにすべきなのだがどうしても一言。阿倍首相について。マスコミはもう阿倍首相を「経験不足」と揶揄する段階ではないと思う。阿倍首相は自分の能力の無さに気が付いておりそれをカバーするために強権を発動することで自分を大きく見せようという、「暴走」の段階に入ったと思う。早く止めないと危険だ。もうマスコミでは止められない。暴走を止めることができるのは「市民」の投票行為のみ。今月末の参議院選挙、結果はどう出るか。。。

(このブログでは、政治を論理的に考えることのできる人を「市民」、考えることができずに感情・ムードで政治を判断する愚民を「国民」と記している。)

ホームページ・ブログへの規制が始まる?

2007年6月27日 (水)

一週間ほど前にアットマーク・アイティの記事ブログ、2chも対象にする「情報通信法」(仮)とはを読んだ。

総務省の「通信・放送の総合的な法体系に関する研究会」は6月19日、通信、放送に関する規制を見直して競争を促進することを主旨とする中間報告(PDF)を発表した。ネットへの対応に遅れが目立つ現行の放送法、電気通信事業法などの規制を転換し、新たに策定する「情報通信法」(仮称)に一本化することを提言。テレビ局などの放送コンテンツだけでなく、ネットの掲示板やブログも対象にすることを盛り込んでいる。

 情報通信法は現在9つある通信と放送関連の法律を一本化し、通信、放送業界の垣根を低くすることを目指す。通信、放送事業者はこれまで進出できなかった分野にも進出可能になり、競争が促進されるとしている。放送、通信のコンテンツに対する規制も刷新し、ネットのコンテンツも同じように規制をかける。

この最後の部分が重要である。いままでは著作権やプライバシに抵触しなければ自由に流通・公開できたネットのコンテンツに規制がかけられる、ということだ。

同研究会の資料別紙1によれば、ネットワークを流通するコンテンツを次の3つに分類する。

  1. 特別メディアサービス
  2. 一般メディアサービス
  3. 公然通信

最初の2つは「メディアサービス」という分類であり、それ以外が「公然通信」となる。
ホームページ、ブログ、掲示板などが「公然通信」である。その「公然通信」に対し、上記資料によれば

■関係者全員が遵守すべき「共通ルール」を策定
■有害コンテンツについて「ゾーニング規制」の導入の適否を検討

とのこと。

この部分は重要なので、少し長いがもうひとつの研究会資料別紙2の記述を引用する。

「公然通信」に係るコンテンツに関しては、現在は「通信の秘密保護」を踏まえ、コンテンツ規律について「プロバイダ責任制限法」などを除き制度化していない。しかし、インターネットのメディア化の急速な進展や、有害コンテンツが社会問題化している現状を踏まえ、「通信の秘密保護」の根拠は匿名による表現の自由の確保とプライバシーの保護(狭義の通信の秘密)にあるとの視点から、保護の範囲と程度を捉え直すべきである。その上で、有害コンテンツを含め、表現の自由と公共の福祉の両立を確保する観点から、必要最小限の規律を制度化することが適当である。

具体的には、「公然通信」に係るコンテンツ流通に関して、各種ガイドラインやモデル約款等が策定・運用されていることを踏まえ、違法・有害コンテンツ流通に係る最低限の配慮事項として、関係者全般が遵守すべき「共通ルール」の基本部分を規定し、ISPや業界団体による削除やレイティング設定等の対応指針を作成する際の法的根拠とすべきである。「プロバイダ責任制限法」などICT利用環境整備関係法制度についても、可能な限り一元化すべきである。

その際、特に有害コンテンツ流通について、「自殺の方法」や「爆弾の作り方」、「ポルノ」など、違法とは必ずしも分類し難い情報ではあるが、青少年など特定利用者層に対する関係では一定の規制の必要性があるものに関しては、有害図書防止条例などの手法を参考にしつつ、いわゆる「ゾーニング」規制(特定の行為等に対して一定のゾーン(範囲や利用方法)に限り規制することを許容する規律手法)を導入することにより、広汎な内容規制の適用を回避しつつコンテンツ流通の健全性を確保することが可能となるため、その導入の適否を検討する必要がある。

ホームページ、ブログ、掲示板に対する規制はいままで基本的に存在していないとされている。しかし本当は存在している。それは「自主規制」という規制だ。いままで、日本の大手検索エンジンのYで某反政府的なサイト名(イニシャルはA)を検索しても検索できなかった。(現在は検索されるが。)これは検索エンジンYが政権側の意を受けて(または意を汲んで)自主規制していた、というべきだろう。かなり前から「自主規制」という規制は始まっているのだ。

そして上記の新法。この自主規制から類推すると、この新法の本当の狙いはポルノなどの有害サイトではなく、「政権に批判的なサイト」である。

この案、”必要最小限の規律”や”関係者全般が遵守すべき「共通ルール」”とか、表現は一見ソフトである。しかしこの規律やルールを決めるのは市民ではなく政権側だ。最初はソフトな規律だが、だんだんに牙や角が見えてくるはずだ。反政府的サイトを政権側が黒といえばそれは黒になってしまい、検索しても検索できなくなってしまうのだ。

これは総務省の研究会の報告なのでこのような法律が制定されると決まったわけではないが、昨今の規制強化の流れがあるのでこの方向に進むことは間違いないだろう。我々市民は、この新法とその運用の変化に充分な注意を払ってゆく必要がある。

そしてもうひとつ。上記中間報告書では「レイティング」という具体的な策に論が及んでいた。これは臭い。現在すでにグーグルとマイクロソフトはすべてのサイトに詳細なレイティングを行っているはずだ。ということは、上記法律が施行されると、それら米国資本の2大巨人が大儲けをする可能性がある。この2社以外に能力のある会社が無いからだ。ならば、このレイティングを実施するように米国から圧力があったのかもしれない。考え過ぎかもしれないが。

 

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