カテゴリー:音楽一般

カザルスホール閉館

2009年2月4日 (水)

大変残念な記事を見た。朝日新聞の2月4日記事によれば、カザルスホールが閉館するそうだ。

日本を代表する室内楽の殿堂、東京・お茶の水の日本大学カザルスホールが来年3月で閉館することが分かった。日大キャンパスの再開発計画に伴うもの。風情のある建物や文化財級のパイプオルガンがどうなるのかは未定だが、音楽ホールとしての歴史は事実上幕を閉じることになる。

 同ホールは87年、チェロの巨匠パブロ・カザルスの名を冠し、日本初の本格的な室内楽ホールとして主婦の友社によって建設された。当時は華やかな大ホールが注目を集めたバブル期だったが、511席という親密な空間と優れた音響で、ロストロポービチや内田光子ら内外の一流アーティストにも愛された。

 02年、経営難に陥った主婦の友社が日大に売却。大学の施設として使われる一方、一般向け貸しホールとしても運用されてきた。日大総務部によると、来年4月以降の公演申し込みは断るといい、「建物自体を残すかどうかは未定だが、敷地は大学の施設として使う予定」としている。 (C)朝日新聞

東京で残響の長い最初のホールがカザルスホールだと思う。あのホールで数多くの演奏会を聴いた。一番良い席は、バルコニーの真ん中より少し前の席。高次倍音が非常に良く聞え、本当に演奏者の息遣いまで聞き取れた。すばらしい音のホールだった。バッハコレギウムジャパン(BCJ)も最初はカザルスホールで定期演奏会を開催していたので、私もずいぶん初期のBCJの演奏を聴いたものだ。くだんの二階バルコニー席で聴くと、BCJって音量の大きなバロックアンサンブルだと思った。それだけ音が響いていた、ということだ。いまBCJはオペラシティーで定期演奏会を開いているが、オペラシティーではバッハには空間が大きすぎる。やはりバッハはカザルスホールで聴きたい。

カザルスホールのオルガンは「文化財級のパイプオルガン」とのことだが、実は私はその音を聞いたことがない。最初はオルガンは設置されていなかったのだ。設置されてからも何回かカザルスホールのコンサートには行ったが、オルガンはあってもポジティフだった。(設置されたフルオルガンではなかった。)

ホールの中はそうでもないが外や一階はなんとなく暗めの雰囲気だったが、私は好きだった。文化財が一つ無くなることは、大変残念だ。

コンサートマスターの仕事(2)

2007年7月25日 (水)

前回の記事コンサートマスターの仕事の続編。

前回の記事で一部引用した毎日新聞の記事コンサートマスターの仕事 曲解釈し、楽員を統率では次のように書かれていた。

大阪フィルハーモニー交響楽団定期演奏会の開演直前に、指揮者の大植英次さんが急病で降板。急きょ楽員80人をリードしたのが首席コンサートマスターの長原幸太さん(26)だ。フォーレ「レクイエム」は合唱指揮者が代わりを務めたが、ブラームス「交響曲第4番」は長原さんがバイオリンを弾きながら、体を大きく上下させて音の出だしや切るタイミングの合図を送り、弓を持った右手で指揮もして、無事に公演を乗り切った。

コンマスの重要な仕事が、この「体を大きく上下させて音の出だしや切るタイミングの合図」。指揮者は普通にリズムどおりにきちんとは振らない。たいていほんのちょっと先の部分を振っている。半拍先をふっているのは当たり前。それは、先の音楽のイメージをより早く団員に伝えるためである。場合によっては1拍以上先を振っていて傍らからは指揮と音楽が全く合っていないように聞こえる・見えることもある。でもそれで良いのだ。そのとき、厳密に音の出だしの合図をするのがコンマスなのだ。団員も、必ず出だしを合わせなければならない箇所は指揮者ではなくコンマスを見る。そうでない箇所でも、団員は指揮者とコンマスをなんとなく視野に入れて演奏しているのだ。

余談になるが、音の出だしは完全に合っていれば良いということは全く無い。実は少しずれる必要がある場合も多い。特にドイツ古典物では、低音、つまりコントラバスからちょっとずつずれて音を出すことにより重厚な響きを作ることが必要となる。その場合コントラバス奏者は指揮者とコンマスを見てほんのちょっと、コンマ0.0何秒早く反応しなければならない。コントラバスは反応の鈍い楽器であるにもかかわらず、だ。このあたりは高等テクニックだが歴史のあるオーケストラなら自然にやっていることである。

これまた余談だが、オーケストラではこの出だしのことを「アインザッツ」という。ドイツ語だ。Wikipediaによれば

アインザッツ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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アインザッツ (ドイツ語: Einsatz)

本来「賭け」や「(労働力などの)投入」、「出動」などの意味があるが、音楽に関していう場合は休止後における歌い始め、奏し始めの瞬間のことをさす。Satzには「文章」という意味があり、ここでは楽節を指している。

出だしをあわせることを、略して「ザッツを合わせる」などという言い方をする。オーケストラでは音名もドイツ語だし、日本のクラシック音楽におけるドイツの強い影響がうかがわれる。(歴史的経緯が大きいだろう。そしてドイツ音楽がクラシック音楽のなかで一番上、のようなイメージがまだ日本にはある。それ以外、たとえばフランス近代・現代の音楽など非常に面白いと私は思うのだが。)

さてコンマスの仕事に話を戻す。音楽以外で一番重要なコンマスの仕事、それは団員とのコミュニケーションだ。東京のあるオーケストラのコンマスT氏は、「コンマスとは”コンパマスター”のこと」と看破した。より良い音楽を団員皆で作ってゆくために、これは重要な「仕事」らしい。

脱線しまくったがコンマスの仕事についての話は終わる。

コンサートマスターの仕事

2007年7月23日 (月)

数日前の毎日新聞の記事コンサートマスターの仕事 曲解釈し、楽員を統率について。

この記事、記者がオーケストラのコンサートマスターの仕事内容についてプロオーケストラを取材して書いたようである。少々物足りない記事だった。

先ずは誤りに近い内容の指摘から。記事の最初に次のように書かれていた。

コンマスは第1バイオリンの首席奏者で、女性はコンサートミストレス(コンミス)と呼ぶ。

まず、コンマスは第1バイオリンの首席奏者とは限らない。まあたいていはそうなのだが、ソリストがコンサートマスターをやることはある。

それから、最近は女性コンサートマスターを「コンサートミストレス」とは呼ばない。それは、「ミストレス」という言葉にあまりよくない意味があるからだ。たとえばYahoo辞書のとおり。最初の方にある意味が通常使用される意味とすると、女性コンサートマスターにはふさわしくない表現だ。またWikipediaを見れば、「ミストレス」にはSMの意味しか無い。確かに以前は女性コンマスをコンサートミストレスと称していたが、現在は東京のプロオーケストラのホームページを見ると「コンサートミストレス」という言葉はほとんど使用されておらず、「コンサートマスター」になっている。また室内オケでは「コンサートマスター」という言葉を使わずに「リーダー」としている団体も増えているように感ずる。

さて、この毎日新聞記事ではコンマスの地位について一番重要なことの記述が不足している。

コンマスは100人もの楽員を統率し、楽員と指揮者とのパイプ役となり、演奏解釈をめぐって指揮者と交渉しなければならないこともある。卓越した技術と同時に、求められるのがリーダーシップ、そして人間性。

とある。まあそうなのだが、コンマスとは、「オーケストラ側の音楽総責任者」なのだ。これが一番重要なポイントだ。だから記事のとおり楽員と指揮者のパイプ役もやらなければならない。場合によっては指揮者と議論、極端にはケンカになることもある。

ケンカならまだ良い。その切磋琢磨で新鮮な音楽が生まれる可能性があるからだ。逆のケースとして、オケ(その音楽の代表者がコンマス)が指揮者をバカにしきった演奏、ということもある。たとえば10数年前の日本の某国立放送局オーケストラの定期演奏会。

もともとそのオケのコンマスはふてぶてしくて嫌いなのだが、その日は指揮者を見下しているのが見え見え。指揮者はイギリスの室内オーケストラでコンサートマスターをやっていて指揮に転進した高名な指揮者。その端正な音楽は私は当時は好きだった。コンサートでは指揮者は聴衆に背を向けてタクトを振っている。ただそれを見ると、ある程度以上の指揮者なら、指揮者がオケにどのような音・表現を求めているかはよくわかる。私はその視覚の情報からその意図を汲み取り、音を補って聴いている。だから、オケの実際の音が少し違っていても、ちょっとしたミスがあってもあまり気にならない。指揮者の意図がわかるからだ。話を戻してその演奏会、オケ、特にコンマスが指揮者を完全に無視して勝手に自分(達)の音楽をやっており、指揮者の動作の情報で音楽を補正などできない演奏会だった。

そのオーケストラの定期演奏会では会員には会報の小冊子が配布される。その中に当時は団員のリレーエッセーのような記事が連載されていた。その中である団員が、「このオケは音楽的に優れた何人もの指揮者の下で演奏してきており音楽の蓄積がある。そこらのたいしたことの無い指揮者が違うことを言っても聞く耳を持たない。」というようなことを書いていた。このオケはその後D氏という優れた指揮者がトレーニングして上手くなったがそのエッセーはまだ下手な頃。下手なくせにプライドばかり高いどうしようもないオケ、と私は極めて不愉快に思い、以後、そのオケの演奏会には全く行っていない。そもそもプロオケ、特に放送オケは、いかなる指揮者のいかなる要求にもすぐに応える能力が必要と私は思う。自分の価値観にこだわっているようでは進歩はない。もっともそのD氏という優れた指揮者は、「こんなこともできないようではお前らはプロか」、とほとんど恫喝しながら厳しいトレーニングした、とか。恐らくメンバーのプライドはズタズタになったのだろう、D氏は常任指揮者をはずれしまった。しかしD氏の頃がこのオケの一番上手い時期だったと思う。当時車のFMで聴いたのだが、その透明感はとても日本のオケではなかった。

その後このオケのコンマスには、上記に書いたコンマスの数倍ふてぶてしい人が就任した。そして常任指揮者はD氏から団員の自主的音楽を重んじるA氏に変わった。A氏の最初の演奏会はFMで聴いたがD氏時代からは考えられない本当にひどいものだった。恐らくメンバーのプライドは癒されたろうが。

コンマスの話題から某オケの悪口になってしまった。コンマスの仕事についてはまだ重要なことを書いていないので、この項、続く。

MUSIC BIRDとSPACE DiVA

2007年6月25日 (月)

私は2つの衛星ディジタル音楽放送に加入している。ひとつはMUSIC BIRD。もうひとつはSPACE DiVA。MUSIC BIRDはCDと同じ、またはそれ以上の音質であり、SPACE DiVAはMP2の音質である。どちらのチューナーも仕事場に設置し、小さな音量でBGMとして流している。

SPACE DiVAは「 219ch : バロック」チャンネルしか聞かない。ホームページのチャンネル紹介には次のように書いてある。

バッハ、ヘンデル、ヴヴァルディ・・・独自のスタイルを持つバロック音楽(声楽曲除く)を古楽器演奏中心にお届けします。様々な形で現在に継承されたバロックの世界をお楽しみ下さい。

(上記の”ヴヴァルディ”は原文のママです。Vivaldiさん、怒るだろうね。)

古楽器オタクの私としてはこのチャンネルが聴きたくてSPACE DiVAに加入したようなものだ。しかし実際にこのチャンネルを聞いてみて、内容にはかなりがっかりした。次の点である。

  1. テンポの遅い楽章をほとんど放送しない。これは実に不愉快である。第1楽章が終わり頭の中ではテンポの遅い第2楽章の冒頭が鳴っているのに聞こえてくる音は第3楽章。このチャンネルがBGM局ならこのような方針はわかる。しかしそうではないのだから、これは聴取者を愚弄している、と私は思う。
  2. 上記チャンネル紹介には”古楽器演奏中心”と書いてあるのだが、モダン楽器による演奏が想像以上に多い。感覚的には6割古楽器4割モダン楽器だ。”古楽器演奏中心”と言うからにはもう少し古楽器演奏を増やすべきだろう。
  3. 一日のうちに同じ曲の同じ演奏を複数回聞くことが多い。同じプログラムを繰り返して放送している感じがする。曲に変化が無いので数日聞くと飽きてしまう。そこで数週間空けてまた聞いてみるが、曲にそれほど変化はない。
  4. 放送している曲目・演奏を確認する手段がない。ホームページにも書かれていない。

そこで上記クレームを放送局側に伝えようと思ったが、連絡先メールアドレスがホームページには書かれていない。電話番号は書いてあるが電話代がかかるし、私は電話でグダグダ文句を付けるクレーマーではないし。そもそも、いまどき連絡先が電話のみとは情けない。

というわけでSPACE DiVAを解約しようかと思い始めていたところ、事件が発生。先々週の雷でSPACE DiVAチューナーが故障し放送を聞くことができなくなってしまった。たいした雷ではなかったのだが。アンテナ側が原因か、とも思ったが同じアンテナでMUSIC BIRDは聞くことができるため、原因はチューナー側である。ただチューナー側といっても、チューナー本体かICカードかどちらが原因かわからない。今日ICカードをチューナーから取り出してみたところIC部分が変色している。IC部分が破壊されていたら放送は聴取できないはずだ。

もしチューナー本体が故障なら修理費がかかるし、主目的のバロックチャンネルにがっかりしてこともあり、SPACE DiVAを解約することにした。

今日、久しぶりにMUSIC BIRDの方を聞いてみた。こちらのクラシックチャンネルは古楽器はほとんど放送されないのが残念だ。ただ音質の良さは再認識した。大音量にすると、CD音質のMUSIC BIRDとMP2音質のSPACE DiVAの違いは良くわかる。SPACE DiVAは大音量ではうるさくて長時間聞けないがCD音質のMUSIC BIRDではそれほどではない。これは音の歪みに違いがあるような気がしている。まあ曲目は私の趣味ではないが音質の良さを買って、当面はMUSIC BIRDを聞くことにしよう。

フランツ・ウェルザーメスト

2007年6月23日 (土)

半月ほど前の朝日新聞のニュース。次のとおりである。

オーストリア文化省は6日、任期が2010年夏に切れるウィーン国立歌劇場音楽監督の小澤征爾氏(71)の後任に、オーストリア・リンツ出身で米クリーブランド管弦楽団音楽監督のフランツ・ウェルザーメスト氏(46)が就任すると発表した。

ベルリンフィルのアバドからラトルへの交代も驚いたが、小澤からウェルザーメストへの交代は私には意表を突くものだった。

最近の私の聴く音楽は古楽器ばかり。モダン楽器のシンフォニーオーケストラの音楽はほとんど聴かなくなってしまった。いったん古楽器のニュアンスと表現の豊かな世界を知ってしまうと、ダイナミックレンジに依存しているモダン・シンフォニーオーケストラの音楽は少々疲れてしまう。そしてモダンオーケストラの弦楽器の、私には過大と思われるヴィブラートも耳障りである。

そうはいっても古楽器がメインになったのはここ3,4年であり、それまでは何の疑問もなくシンフォニーを聴いていた。ただ聴いていた音楽は少々一般的ではなく、フランス近代・現代音楽、ペルトなどのヒーリング系音楽、ライヒなどのミニマルミュージック系音楽である。

そのヒーリング系音楽のCDの中で10年ほど前に買ったCDがこのCDだった。内容は次のとおり。

ペルト&カンチュリ/交響曲第3番
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 (演奏), ペルト (作曲), ウェルザー=メスト(フランツ) (指揮), ジェームス(ディビッド)

指揮が、本日の話題のウェルザーメストだ。私が持っているウェルザーメストのCDはこの1枚のみである。

その演奏は非常に透明感があり、冷徹な音楽である。各声部の分離が非常によく、すべての音がにごり無く聞こえてくる。非常に集中力のある演奏なのだが変化に富んでいるため聞き手を疲れさせない。

この感想はCDを購入した当時の感想だが、このブログのために再度聞いた印象も全く同じだった。当時の感想に加え、不協和音が非常に美しいことに気が付いた。不協和音とはまさに綺麗に響かない和音なのだが、それが美しいのだ。

また金管楽器の奏法にも特徴のあることに気が付いた。アタックが非常に丁寧で、アメリカ流(ペケペケ)アタックの逆だ。そして音をまっすぐに伸ばし、最後に丁寧に減衰する。そのルールを厳密に守った演奏なのだ。このことは音楽の透明感に非常に貢献していると思う。

数年前にCS放送のクラシカ・ジャパンでウェルザーメストのドキュメンタリーを見たが、ウェルザーメストは非常に知的な雰囲気の人物だった。まさにそのとおりの演奏と言えよう。

私はウェルザーメストの演奏はこのCDしか知らないので、他にどのようなCDがあるのか調べてみた。
CDリストのとおりである。

レコーディング枚数は多いとは言えず、曲目はそれほど特徴が無い。ウェルザーメストは歴代のウィーン国立歌劇場音楽監督と比較して最も「有名ではない」音楽監督かもしれない。しかし私ですらCDの最初をちょっとを聴いただけでウェルザーメストの才能はわかった。10年前にCDを聴いて才能を感じた指揮者がウィーン国立歌劇場音楽監督就任決定に嬉しく思う。2010年からのウェルザーメストの演奏に非常に期待している。

 

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