カテゴリー:騒音

騒音のうるさいゐなかの私3

2011年4月3日 (日)

このブログは約1年半、休眠状態であるが久しぶりに記事を書く。それは、この地域の騒音についてだ。

このブログでは、大分前になるが防災無線の騒音について2つの記事を書いた。2007年5月26日の防災無線のうるさいゐなかの私と、2007年6月20日の防災無線のうるさいゐなかの私2だ。これらの記事に対し、静かな街を考える会という市民団体からリンクの申し出があった。もちろん、リンクOKです。

この防災無線については、その後状況の変化があった。上記記事によれば、うるさい防災無線の毎日の放送は2006年半ばから始まった。それは昨年2010年3月22日まで続いた。計4年弱、毎日放送されたことになる。上記ブログ記事のとおり、毎日その放送の時間に思考を遮断され苦痛の毎日であった。そして昨年3月23日、この地域は市町村合併により隣の市に吸収された。その結果、防災無線の放送内容も変更があった。

昨年3月23日以降、放送は一日置きとなった。そしてその内容も、「家に帰る時間となりました。気を付けて帰りましょう。」という短いフレーズが1回のみと、放送時間はかなり短くなった。その結果、私の苦痛はかなり軽減された。とはいえ、その苦痛はもちろんゼロではない。しかしその苦痛が微々たるものと思わせるような別の騒音問題が発生した。

それは、近隣のモトクロス場からのバイクの騒音だ。10台ものバイクが、騒音軽減のマフラーを付けずに高回転でエンジンをふかして走り回っている。そのモトクロス場は土日休日のみオープンだが、その日はどんなに気持ちの良い風の吹いている日でも窓は開けられない。何度も市役所に文句を言った結果、役所はやっと騒音を計測したが、その騒音は住宅地なら環境基準に抵触するレベルだった。そのモトクロス場との戦いは始まったばかりだ。その経緯は、このブログで時々書くことになるだろう。

防災無線のうるさいゐなかの私2

2007年6月20日 (水)

先月書いた記事防災無線のうるさいゐなかの私の続編。昨日(19日)は防災無線放送が大変うるさい日で、4回も放送があった。次の内容である。

  1. 昼の音楽(毎日定例)
  2. 隣町の行方不明者。見かけたら知らせよ。
  3. 車上狙い盗難が発生。車を離れるときはロックせよ。
  4. 教育委員会からのお知らせ(毎日定例化。先の記事のとおり。)

この中で許せるのは「2」のみだ。行方不明者の特徴などをゆっくり話し、繰り返して2回放送するので放送時間は結構長いのでうるさい。しかしこれは緊急事態だろうから許せる放送だ。(以前ある都会に住んでいたときにはこのような内容の放送は記憶に無いが、田舎ならではのこととして良しとしよう。)

「3」は無意味。「車を離れるときはロックしましょう」など当たり前の話で、もしロックを忘れて盗難にあったらそれは自己責任。そしてロックをうまく解除して盗むのが「彼ら」の仕事。この放送内容は「防犯」の顔をしているが全く無意味な内容、ということになる。「交通安全週間です。車には気を付けましょう」の放送と同程度に無意味だ。だいたい車上狙いのような盗難事件やその他の犯罪はこの地域ではほとんど毎日のように発生しているはずだ。それが何故、今日のみ、かつ車上狙いに限定して放送されるか。放送の主体は自治体だが、自治体は警察の言いなりに仕事(放送)をしている、としか思えない。

「4」は先の記事のとおり全く無意味な内容の放送で、この1年、放送が定例化してしまった。

こうなると「1」も全く無意味な放送だ。「1」の目的は、他の地域の防災無線と同様に、必要時に正常な放送ができるように毎日のチェックの目的だろう。もしそうなら、「1」と「4」を共に毎日放送することは全く無意味だ。そもそも、この放送設備チェックの目的で毎日放送する必要があるのだろうか。私はせいぜい月に1回で充分、と考える。

この放送は近所の塔のスピーカーから割れた歪んだ音で放送される。その音量は結構大きく、先の記事のとおり、電話に支障のあるレベルである。うるさい日本の私の著者の中島教授なら、デシベル計で騒音を計測して自治体に掛け合うかもしれない。しかし私はそこまではやる気はない。私はその音量が騒音であることの問題もさることながら、「お上」がこのように一見正当で実は無意味な内容の放送を恣意的に垂れ流すことが一番問題と考えており、そのことを彼ら(自治体側)が認めて放送を中止するはずが無いからだ。

一時も早く、防災無線の無い場所に引っ越したい。ただそのような場所は、いまは有っても将来は無いだろう。権力側が市民への管理強化・プロパガンダのためにこの放送を利用することが予想されるからだ。

防災無線のうるさいゐなかの私

2007年5月26日 (土)

私の住んでいる場所は農村。都会とは異なり緑は色濃く残っている。五月のこの季節、木々の間を吹き抜ける風は爽やか、鳥の声もすばらしい。ことしは例年になく鶯が多い。毎日美しい声が聞こえ、自然の中に住んでいる喜びを感ずる。ただ今年は蝶がやたら少ない。今年蝶が少ないことは新聞の投書欄でも見かけたので、広い地域にわたってそうなのかもしれない。いつものこの季節はモンシロチョウの天国なのだが、ことしは春先にちょっと見かけただけ。今年の夏は異常気象なのだろうか。

自然の中で生活したく田舎に引っ越した私だが、良いことばかりではない。

この地域では、朝と夕方に防災無線から音楽が流れる。防災無線の維持テストのためだろう。その音量は結構うるさく、電話に支障があるレベルである。音楽が鳴っているとき電話のベルが鳴ったのだが音楽がうるさいため電話に出られなかったことも数度あった。

この放送は防災無線のため、その本来の目的に使用される頻度は少ない。今までは、台風時の洪水情報、選挙関連(投票に出かけましょうという内容)、行方不明お年寄り、地域行事の案内、などの放送があった。おそらく月に1回も無かったと思う。

ところが約1年前から、上記の放送に加え、毎日夕方に次のような放送が始まってしまった。内容を要約すると次のとおりである。

教育委員会からのお知らせです。外で遊んでいる子供たちは気を付けて家に帰りましょう。地域の住民は子供たちの安全を見守ってください。

この内容を2回繰り返す。その時間は約1分50秒。

音楽ならまだしも、人の声というものは思考を遮断される。実に不愉快極まりない。そしてこのような内容のまったく無いことを毎日放送させる教育委員会の無能さにも腹が立つ。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎し」の喩えどおり、この放送しているオネエチャンの痴性あふれる舌足らず話し方にも腹立て、毎日夕方のこの放送が苦痛でならない。

昨年この放送が始まってすぐ、私は教育委員会宛てに抗議のメールを送った。次のような内容である。

先日より教育委員会からと称する放送が毎日あるようになりました。次の点から放送を停止してください。

(1)防災無線の放送は緊急時に使用すべきである。毎日同じ内容の放送は、聞き手にとって内容を聞かずに無視するような習慣を植え付ける。事実、私は防災無線の放送内容は聞き取らずに無視する習慣になってしまった。これでは肝心のときに役に立たない。このような緊急放送は「緊急時」にのみ使用すべきである。

(2)放送の内容が全く無意味である。飛行機から「交通安全週間です。みなさん、交通安全に注意しましょう。」の放送がときどきあるが、それと同じくらい無意味な内容である。お役人さんの自己満足の内容と私は思う。

(3)とにかくうるさい。物理的に騒音であるうるさい放送であっても、重要な内容がたまに放送されるのなら問題ない。しかし今月からのように無意味な内容を毎日放送するのは、聞き手にとってうるさい、迷惑放送に過ぎない。

以上です。回答は必ずメールまたは文書にて、回答者のお名前を明記のうえお願いします。証拠の残らない電話でのご回答はご遠慮ください。

予想通り、返事は無かった。何せ此処は田舎。官尊民卑がまだ残っている。次の逸話がそれを物語っている。

近所の住民が行政に要望があり、その内容をしたためた文書を役所の投書箱に入れようとした。そのとき役所の人曰く、「そこに投書しても無駄ですよ。要望は議員を通じないと無視されてしまいます。」とさ。

官尊はともかく、いまだに民卑の意識が役所に残っている、という地域といえよう。

このような無意味な内容を毎日放送し続けることに対し、上記の観点以外に次の点から危惧を覚える。

権力側が無意味な内容を放送し続けることにより、住民側の深層心理に官は民を指図する存在であるという意識を植え付けることになるのではないか。

いま日本のあちこちで権力側が規制を強めている。だんだん息苦しい社会になってきていることを実感している。その規制を強める際に市民の反対を少なくするために、このような「無意味放送」を続けているのではないか。私はそのように考えている。

この地域の自然を私は好きである。しかし自然は大事だが自由も大事である。自由を得るため、自然を捨ててコンクリートジャングルに引っ越したくなった今日この頃である。

 

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