月別:12月2005年

Perlとキーボード

2005年12月31日 (土)

昨日はPerlに振り回された一日だった。MovableTypeのプラグインをPerlで作成しMovableTypeにログイン。ところがエラー画面となってしまう。Apacheのエラーログには

[error] [client xxx.xxx.xxx.xxx] free(): invalid pointer 0×8b29f48!, referer: http://yyyy/zzzz/mt.cgi

とあるだけ。これは恐らくApacheまたはPerlのCライブラリ中でのアドレスエラーだ。このようなときC++,Javaなどの高級言語ならデバッガを起動すればすぐに原因はわかる。しかし相手はPerlだ。MovableTypeはWEBアプリケーションなので、mod_perlとMovableType全部をデバッグ可能なPerlデバッガが必要だ。もちろん、JBuilderとEclipseとVC++に慣れた私としては、デバッガはGUIでなければならない。もちろん、そのようなデバッガはない。バグのレベルがもう少し上ならログにトレース情報を書かせるという数十年前のデバッグ法で追跡可能だが、上記エラーはもっと低レベルで発生しているためそれも無理。スクリプト言語はお手軽で良いが、このようなときに困る。だから私は仕事ではスクリプト言語は使いたくない。

PerlとWEBアプリケーションをキーワードに調べたところ、Perlはかなり大規模なWEBアプリサイトでの使用実績があるらしい。でも私は、GUIデバッガでデバッグできない言語でのWEBアプリケーション開発は行わない。GUIデバッガが使えるかどうかで開発効率は大きく変わるからだ。

さて上記エラーの原因だが、不可解な現象の原因は単純なミスであることが多いというソフト開発の掟どおりだった。パッケージ名の宣言で、コロン2つが必要なところにコロンが1つしか無かったことが原因。これを、デバッガやログトレースができないので試行錯誤で見つけた。お粗末なのだが、このコロン1つには別の原因がある。それは、私のキーボードが使いすぎのため一部のキーを押しても反応しないことがあるのだ。コロン2つを打ったつもりで1つしかキーボードが反応しなかったようだ。このキーボードは4,5年使っているが、キートップの刻印文字は10個程度は見えなくなり、「K」のキーは材質がプラスチックなのに少し丸くえぐれている。爪がプラスチックのキーボードをえぐってしまうのだ。いかにこのキーボードを使用したかが良くわかる。考えてみれば、昨年末から今年にかけての約3ヶ月に、Javaプログラムを約20万ステップ(コメント込み)、JSPも数万行作ったのだ。もうそろそろキーボード交換の時期だ。でもこのキーボードはたくさん稼いでくれたので愛着もある。本当に気に入ったキーボードを見つけたら交換するとしよう。

道路交通センサス オーナーインタビュー調査

2005年12月29日 (木)

国土交通省が行っている道路交通センサスという調査があるらしい。その調査のうち、オーナーインタビュー調査なる調査の依頼が来た。

1ヶ月ほど前に調査協力依頼の葉書が来た。その文面はなんとなく権力臭の感じさせるものだった。一応丁寧な文なのだが、頭を下げて協力してくださいとのニュアンスに欠け、協力は当然という雰囲気の文面。その時点で私はその調査に協力するつもりはなかった。

先週、調査員が来宅し、調査票を置いていった。その内容を見て怒りが込み上げてきた。問題点は次のとおりである。

  1. 指定された平日と休日の2日、車の運行状況を調査票に記入しなければならない。記入項目は、走行距離メータ値・出発地目的地の住所・利用施設(項目選択)・駐車場所(項目選択)・乗車人員・出発到着時刻・移動目的(項目選択)・移動距離など。私はこのようなプライバシーを国に報告するつもりはない。国は個人のプライバシーについて知る必要がない、と私は考えているからだ。
  2. 提出する調査票には、すでに私の住所と車のナンバーが記入済み。個人が特定できる調査は私はお断りである。
  3. 調査票を入れた封筒にも、整理番号が記入済み。この番号からも個人の特定は可能だろう。
  4. 2日に亘ってこのような詳細な内容を記入しなければならない調査であることは、先の調査協力依頼葉書からは読み取れなかった。予想労力をはるかに超える調査である。
  5. 調査員の身分が不明。調査員は国または自治体発行の身分証明書を持っている、とホームページには書いてあった。私はその身分証明書は見ていないので違っているかもしれないが、その調査員が守秘義務のある国家公務員である保証はない。今日、調査票を受け取りに来た調査員は、どうみてもアルバイトのおネエちゃん。
  6. そもそもプライバシーの漏洩は人を介するところから発生する。つまり、調査員が一番の危険発生箇所である。もう調査員による調査は時代遅れである。調査票の直接提出かWEB提出でなければならない。ちなみに私は、似たような調査である国勢調査にもほとんど協力していない。国勢調査の調査票中には個人を特定できる内容は一切記述せず、人口統計に必要な情報のみ記述している。そして封筒と中のID番号はマジックで消している。また調査員にも個人を特定できる情報を後で書き込まないように、強く言っている。

ということで、今日来た調査員に、調査協力拒否を伝えた。理由も聞かずに大人しく引き下がったのはちょっと意外だった。やはり彼女はアルバイトだったのだろう。

量的緩和についての立花隆氏のコラム

2005年12月28日 (水)

立花隆氏のコラム量的緩和巡る政府・日銀の工房を読んだ。

立花氏の論は完全に日銀寄りであり目新しさはない。ただ、少々気になったことが2つあった。

最近、日銀が日々に、具体的に何をやっているかを解説した本を読んで、日銀が日々のどころか時々刻々のマネーの流れの数量データをどれほど精密にリアルタイムにつかんでいてるかを知って驚いた。

マネーの流れをデータ的につかむだけでなく、日銀自身がプレーヤーとなって、その流れの微調整を何度も何度も繰り返し行うことによって、いわば日本経済全体のすみずみまで流れる血流量の最適化がはかられている。そのおかげで、このような苦境にあっても、日本の経済が破綻することなく、ここまでなんとかやってこられたのだということを知った。

政治家連中は、大雑把な大言壮語を得意とするが、マネーの流れのリアルタイムの精密な流量データから、いまただちに何をなすべきかなどという判断はしようたってできる人々ではない。

日銀がいかにプロフェショナル集団であるかを述べているが、この部分の論拠となっている日銀が日々に、具体的に何をやっているかを解説した本とはどのような本であるか、一切説明がない。この本はどのような人の書いたどのような本か説明がなければ、この部分については説得力はない。立花氏の論は信用できるかどうかわからない論の上に立っていることになる。

そして、氏は次のように述べている。

モチはモチ屋にまかすべきであって、ここで、日銀が下手に政治家連中の恫喝にヒザを屈するような事態があったら、日本経済は、前回のバブル破綻以上の大破綻をきたすことになるだろう。

この部分については大きな異論がある。そのプロフェショナル集団の日銀は、政府の反対を押し切って2000年にゼロ金利を解除した。それは失敗であり、日本は光が見えていたにもかかわらず再び不況が戻ってきた。プロフェショナル集団の日銀が何故間違えたのか、充分な説明が必要である。その失敗を総括せずに、「日銀はプロフェショナル集団なのでまかせるべきである」という氏の論には全く同意することはできない。

それにしても最近の立花氏の論には鋭さがなくなった。権力に鼻薬をかがされたのでなければ良いが。。。

茂木大輔氏の指揮

2005年12月27日 (火)

NHK交響楽団主席オーボエ奏者の茂木大輔氏といえばクラシック音楽の枠にとらわれない音楽活動でも有名である。茂木氏は最近は指揮も手がけているようだ。次のコンサート評茂木大輔隊長と名曲の森探検隊 第7回/「“第九”初演の時は、こんな風だった!」を読んだ。

茂木の作り出す音楽は、オーケストラ・プレーヤーゆえか、ビートがはっきりとしていて、停滞することがない。弦楽器のノン・ヴィブラートや開放弦の使用や木管楽器の独自のアーティキュレーションなど、さまざまなアイデアも施されていた。

これって、どうみても古楽器オーケストラの演奏法である。と、演奏会タイトルを見ると“第九”初演の時は、こんな風だった!なので、初演に近いスタイルでの演奏を目指したことが想像できる。最近はモダンオーケストラでも古楽器的表現が流行っている。古楽器オタクの私としてはそれはそれで嬉しい。しかし反面、モダン楽器で古楽器的表現を使用して古典派時代の音楽を演奏することに矛盾を感じてはいる。無理して古楽器的表現を真似しなくても良いのに、と。また、古楽器的表現は古楽器オケに任せれば良いのだ、とも思う。とはいえ、ギトギトのモダンオーボエ吹きと思っていた茂木氏が古楽器的表現を目指したことは私的には素朴に嬉しい。

ちなみに私は、茂木氏が指揮の勉強を始めたころ、彼の指揮に接したことがある。当時の氏の指揮の腕前はまあ素人より少しマシ程度だったが、経験に裏打ちされた様々な意見はさすがだった。そして何よりも、すばらしい音楽だった。着々と指揮の実績を上げていることが今回のコンサート評でわかった。

NHK改革

2005年12月23日 (金)

朝日新聞の社説NHK改革 「私たちの公共放送」にについての感想。

私は地上波放送は全く見ない。NHKも民放も、見なくなって10年近い。台風でアンテナの向きが変わってしまい、NHKと教育テレビは音声は聞こえるものの映像はほとんど映らない。民放はあまり綺麗ではないが一応は映るが全く見ない。もちろんこれはアナログ放送の話である。地上波デジタル受信機は持っていないし買うつもりはほとんどない。アナログ波が終了したらどうするか。きっと買わないだろう。

テレビ受信装置は、CSチューナーがあり、スカパーと契約している。クラシック音楽放送のクラシカ・ジャパンと24時間ニュースのJNNニュースバードはときどき見ている。といっても、平均して週に1時間程度だが。

というわけでNHKとの接点はまったく無い。強いて言えば、目覚ましに使用しているNHK-FM程度である。あとは車に乗ったときに聞くNHK-FMだがほとんど聞かない。そんな私だが、NHK受信料だけは払っている。大分前から口座自動引き落としなので気がつかない内に受信料を払っている、という感じか。

朝日新聞は次のように述べている。

こんな大事なことを総務相の懇談会だけで決めていいはずがない。政治との距離を問われるNHKをどうするかは国民の幅広い議論で決めるべきだ。

 その際、まず考えるべきなのは、公共放送とは何かということだろう。

 いつでも国民一人ひとりに必要な情報を伝えるのがNHKの役割だとされてきた。それが受信料を取る根拠になっている。しかし、だれにでも伝えなければならない情報とは何か。NHKが果たすべき役割とは何か。そうしたことから議論を始めるべきだ。

公共放送とは何か。一般的には、政治的な片寄りのない正確な情報を伝えること、だろう。それ以外の番組は「おまけ」と考えるべきだ。そのNHKにとって「おまけ」の部分は民放のメイン領域なので、NHKはその領域を積極的には犯すべきではない。もっとも意思があってもその部分で支持を得ることは難しいだろうが。

問題は「政治的な片寄りのない正確な情報」である。もし東京に大地震が発生して多数の死傷者が出たとき、NHKの情報は一番正確であることが期待される。そして現実的にもそれは可能だろう。しかし政治的な情報においては、片寄りのない情報というものは不可能であり、なんらかのフィルターが介されるはずだ。そしてNHKのフィルターは自民党臭あり、だ。従って私はこのフィルターを信用していない。となると、大災害時のような緊急時の正確な情報のためだけにNHK受信料を払う必要があるのか、という議論になってくる。

また、情報ソースというものは現在は多岐に亘る。私は、即時性の必要な情報なら、CS放送のJNN,BBC,CNNで収集できる。そしてニュースWEBサイトも多数あるので、即時性が必要でも情報収集には困らない。このことからも、NHKの存在意義はない。

結局、NHKの存在意義は、大地震時などの緊急時情報のみにある。そのためだけに全市民から受信料を強制的に徴収することは無理がある。となると、通常はスクランブルをかけて契約者だけ視聴することとし、緊急時にはスクランブル解除すれば良い。こうすれば全市民の納得のゆくNHK改革となるだろう。

でもこの方法は政治家は本心は反対のはずだ。政治家本人の全市民に対するプロパガンダの手段を失うからだ。残念ながらこのようにはならないだろう。

 

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