色川大吉氏のコラム

2005年12月13日 (火)

私は朝日新聞と毎日新聞を朝夕刊とも購読している。私の家は毎日新聞の夕刊配達区域外なので朝刊と前日夕刊がまとめて配達されるため、新聞ではなく旧聞になる記事も多いが、それでも最低2紙を読む必要を感じているため購読している。

政治に批判的な新聞といえば以前は朝日が代表格だったと思うが、最近はそうでもないように思う。最近は毎日のほうが反権力の意識があるように感じている。

昨日(12日)毎日新聞夕刊の記事何でも「改革」 言いたいは森永卓郎氏と色川大吉氏のコラムであった。そのうちの色川氏のコラムに対する感想である。

色川氏の文は実に理路整然として無駄がなく説得力がある。私もこのような文を書きたいものだ。

さて、色川氏は最初に小泉首相を一刀両断。

小泉純一郎首相の名前は歴史書に刻まれるだろう。「小泉改革」の実現者として記録されるのではない。小泉政治の本質は結果から見れば戦後の民主主義を変質させた、「改革」の名に値しないものとして残るのだ。彼は日本を民主主義とは反対の方向に押しやった。

その例として靖国問題を挙げている。

それを国民に支持されているからと言うなら、ポピュリストのおごりだ。日本人にはもともと付和雷同の気質がある。A級戦犯の東条英機元首相を当時の国民の多数が支持し、太平洋戦争に至る歴史を忘れてはなるまい。国民が間違いを犯すことは往々にしてある。

ここが非常に重要な論点と思う。「国民が間違いを犯す」ということが有り得ると色川氏は考えている。私もそう思う。しかしポピュリストはそうは考えない。

彼が実現した国権の強化、右傾化政策は大きい。「個人情報保護法」「国民保護法」など聞こえはいいが、内実は国民管理の強化、戦時動員法と同じではないか。平和憲法さえ、改正されかねない勢いである。近現代の政治は、封建時代のように権力者が直接に強権を発動することはない。国民を宣伝によって、だますことにあるのだ。

まさにそのとおり。国民、というか愚民はだまされているのである。そして小泉政権になってからの右傾化とあるが、私はその芽は小淵内閣からだ、と思っている。野党の国会戦術を封ずるために与党のみでの採決や強行採決の乱発は小淵内閣以降と思う。民主主義の根本原理は多数決ではなく小数意見の尊重である。その意味で民主主義の破壊を始めたのが小淵氏であり、自民党どころか民主主義をぶち壊しているのが小泉氏、と言えよう。

しかし、私たちは絶望していない。100年単位で歴史を振り返ってみればよい。日露戦争の勝利で軍部の勢威が高まった時、大正デモクラシーが立憲政治を前進させた。太平洋戦争の後は農地改革など一連の民主化によって自由社会を実現した。歴史とは揺り戻しの連続である。実際、「小泉改革」をどれだけの国民が支持していると言えるのか。先の総選挙での与党得票から、私は大ざっぱに4割程度と見る。批判派も同数程度はいる。残りの2割がたまたま向こう側に振れているだけなのだ。

色川氏の見方は少し楽観的に思う。私は批判派2割、向こうに振れているのが残り4割と思っている。

改革はどういう必要があり、誰のためになされるか。私たちは監視しなければならない。放置すれば「権力は基本的に悪をなす」。それが、明治の自由民権運動の教えであった。その精神は今も脈々と生き続けていると私は思う。

いまのマスコミには「権力は基本的に悪をなす」の意識が無さ過ぎる。いまこそこの意識を共有して権力を批判しなければならない時期なのに、マスコミはそれをしていない。マスコミが権力に取り込まれて行くことが戦争への第一歩という歴史の教訓をマスコミは思い出してもらいたい。

マスコミのみならず評論家も権力に取り込まれ批判を控えているいま、政権批判の最後の砦は学者である。歴史学者の色川氏の今後の戦いを期待している。

 

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