月別:1月2006年

ジンマン指揮/チューリッヒ・トーンハレ管のシューマン

2006年1月16日 (月)

昨晩何気なくCS放送のクラシカ・ジャパンを見たところ、シューマンの交響曲を放送していた。

シューマン:交響曲第3番変ホ長調『ライン』[指揮]デイヴィッド・ジンマン[演奏]チューリヒ・トーンハレ管弦楽団[収録]2003年10月トーンハレ(チューリヒ)、約34分

シューマン:交響曲第4番ニ短調[指揮]デイヴィッド・ジンマン[演奏]チューリヒ・トーンハレ管弦楽団約34分

私が見たのは「ライン」の途中から。バロック音楽好きの私なので「何だ、またロマン派の曲か」と少々がっかりし、聞き流していた。

ところが。。。普通のシューマンと全然違う。すっきりとして、すべての線が見えてくる演奏である。非常に音楽の流れがあり、さわやかなシューマン。こんな演奏は聴いたことがないため、引き込まれていった。

シューマンの交響曲は、演奏が非常に難しい。ユニゾンが多く、必要な音が埋もれてしまい聞えてこない。いつも厚ぼったく、もやもやとし、洗練の逆の音楽になりがちである。ベルリンフィルやウィーンフィルというような超一流のオーケストラでどんなに良い指揮者でも、この傾向からは免れることはできない。

ところが、デイビット・ジンマンというそれほど有名ではない指揮者と、歴史はあるが現在ではそれほど一流とは見做されていないチューリッヒ・トーンハレ管弦楽団という組み合わせが、その「シューマン演奏の常識」をくつがえしたのだ。

このジンマン/チューリッヒ・トーンハレ管の演奏の秘密は、古楽器的演奏にあった。フレーズを短く考え、フレーズの終わりは必ず減衰し、そのフレーズ最後の音と次の音の頭の間には隙間を設けている。この隙間は、通常考えられる字時間より長い。それをすべての場所で徹底している。そのため、演奏がすっきりし、音楽の線が良く見えてくるのだ。

またリズムが厳密で、まるで古楽器オケのようだ。バロック音楽は自由な音楽、と考えている人が多いが、それはバロック音楽の一面であり、実はバロック音楽はリズムが実に厳密が音楽である。それを演奏する古楽器オケは、当然リズム感は通常のモダンオケより良い。彼らは恐らく0.005秒の長さを意図的にコントロールできる。ジンマン/チューリッヒ・トーンハレ管のリズム感は古楽器オケに匹敵するすばらしさだった。

音程も、先日聴いたベルリンフィルベルリンフィルって下手になった?よりずっと良かった。

楽器については、トロンボーンは、その古楽器であるサックバットであった。しかしトロンボーン以外はモダン楽器に見えた。

私の見た限りでは、ホルンは通常のフレンチホルン。しかし4番終楽章のホルンのファンファーレは音を割り切っていてほとんどウィンナホルンかナチュラルホルンの感じではあった。

トランペットはナチュラルではなくロータリートランペットだった。ティンパニもモダンではあったが、バチは通常は使わないような固い小さなバチだった。

また古楽器的演奏といえば弦楽器のノンヴィブラートが想起されるが、この演奏ではちゃんとヴィブラートはかかっていた。控えめではあったが。

また、シューマンのシンフォニー演奏では通常考えられない装飾音が付けて有り、笑ってしまった。指揮のジンマンもそれを楽しんでいる棒であった。

早速WEBで検索したところ、ジンマン/チューリッヒ・トーンハレ管は古楽器的演奏で有名であることがわかった。知らぬは私のみだった。

なお検索で見つけたブログ「トロンボーン吹きによるクラシックの嗜好」のR. シューマン:交響曲全集/ジンマン [ARTE NOVA]によれば、

トーンハレ管は特に古楽器オケという訳ではないのですが、今回は金管には古楽器 (ナチュラル・ホルン、ナチュラル・トランペット、バロック・トロンボーン) を使用しており、

とある。ホルンとトランペットについては、私の見誤りかもしれない。そうであってもなくても、非常にすばらしい演奏で満足した。

「あけましておめでとうございます」

2006年1月8日 (日)

昨日アップロードした記事正月らしさでは、正月らしさの喪失が今年は甚だしかったことを述べた。その続編である。

今年は、新年に初めて人に会っても「あけましておめでとうございます」と言う人が少なくなっている気がする。年末に、「良い年をお迎えください」と言う人も同様に減っている。特に、若い層にその傾向があるように感じている。

従って私は、相手を見て「あけましておめでとうございます」と言うようにしている。ある一定の年代以上のかたにはそのように言うが、若い年齢層の人にはほとんど普通の挨拶にしている。

この「あけましておめでとうございます」と言わない人の声が聞こえてくる。「年が改まることがどうしてめでたいの?」と。

昔、年齢の数え方は「数え年」だったと聞く。これは、生まれたときが一歳で、以後、年が改まる毎に歳をとる数え方。正月は自分の年齢が一つ加算され一つ歳をとるので、感慨もあったと思う。いまは年齢は誕生日による満年齢なので、新年に対してその様な感慨は無い。

また、正月とは単なる人為的な年の区切りに過ぎない、と考える人が増えてきたのかもしれない。正月休みも、欧米のように「クリスマス・新年休暇」と変貌する日が近いのかもしれない。

むしゃくしゃはむちゃくちゃ

2006年1月7日 (土)

「むしゃくしゃ」という言葉がある。「気分がむしゃくしゃしている」などと使う言葉である。かなり口語的言葉と思うが私は口語では使わない。文語でももちろん使わない。昔からも使ったことはない。かなり時代錯誤の言葉のような感じがするし、言葉から伝わるニュアンスが好きでないからだ。

世の中でもこの言葉は普通は聞かれない。しかしある場面では、かなり高い確率で使用される。それは放火の報道記事だ。

たとえば、今朝早朝にJR下関駅が放火で焼ける事件があった。その犯人は逮捕された。その記事にきっと「むしゃくしゃ」という言葉が出てくると予想して記事を見たら、予想通りあった。JR下関駅に放火容疑、74歳男を逮捕 3千平方m焼失中である。

容疑を認め、「空腹でむしゃくしゃしていてやった」と話しているという。

別の新聞サイトにもあった。JR下関駅火災:76歳無職男を放火で逮捕 ライター使いでは次のとおり。

容疑者は「腹が減ってムシャクシャしていた。ライターと紙で火をつけた」と供述しているという。

私のみならず現代のほとんどの人が違和感を覚えているであろう「むしゃくしゃ」という言葉を新聞記者がなぜ使うのだろうか。それは、新聞記者が警察発表をそのまま記事にしているからだ。「むしゃくしゃ」という言葉を放火記事に見るたびに、警察発表鵜呑みの怠慢新聞記者を条件反射に思い浮かべる今日この頃である。

正月らしさ

2006年1月7日 (土)

年々歳々、街角から正月らしさが失われている。特に今年の正月はその傾向が甚だしかったように思う。

大晦日に近所のスーパーに鏡餅を買いに行ったが無し。もう一軒のスーパーにも無し。通常は別コーナーで売っていた正月用松飾りも無し。そもそも正月用品コーナーが無い。大晦日なので売り場を縮小したのかもしれないが。

また食料品売り場もほとんど通常どおりの品揃え。昔は定番だった(着色料たっぷり)真っ赤な蛸もほとんど置いてない。数年前まで刺身売り場は、年末はマグロ中心の品揃えなのに今年は通常通り。せいぜい通常は置いていない高価な蟹が置いて有る程度である。

そして2日に同じスーパーに行ってまた驚いた。BGMは通常の音楽だった。いままでは何故か正月はお琴の音楽だったのに。(正月のお琴の音楽と年末の第九は同じくらいアホくさいと私は思っているのだがそれはここでは置いておく。)

私は正月らしさが失われていくことを嘆いているのではない。今年の正月は、正月らしさ喪失の度合いが近来になく高かったので驚いているのである。皆様の正月はいかがだったでしょうか。

モーツァルト・アカデミー・トウキョウ旗揚公演

2006年1月6日 (金)

モーツァルト・アカデミー・トウキョウ(MAT)演奏会を聴いた。

モーツァルト・アカデミー・トウキョウ 第一回演奏会
1月5日(木)19時開演 新大久保 日本福音ルーテル東京教会

W.A.モーツァルト
 「昇れ、天への道を」KV 34
 「神はわれらが避け所」KV 20
キリエ KV33
先ず神の国を求めよ KV86
ミサ・ブレヴィス KV49
  「雀ミサ」KV 220
テ・デウム KV141

モーツァルト・アカデミー・ヴォーカルアンサンブル
  ソプラノ:名倉亜矢子、星川美保子、本宮廉子
 アルト:穴澤ゆう子、田村由貴絵、北条加奈
 テノール:及川豊、野村和貴
  バス:大井哲也、小田川哲也、春日保人

モーツァルト・アカデミー・チェンバーオーケストラ
 ヴァイオリン:
 天野寿彦、石川和彦、大西律子(リーダー)、川久保洋子、廣海史帆、宮崎桃子
 チェロ:山本徹  コントラバス:西本俊介  オルガン:渡部聡
 トランペット:中村孝志、足立悠司
 ティンパニ:鈴木力

指揮:坂本 徹

この団体は、プログラムによれば「モーツァルトを始めとするヨーロッパ古典派音楽をレパートリーの中心とする」古楽団体である。オーケストラはクラシックまたはクラシカル楽器で、ピッチは430Hz、古典調律。メンバー表を見ると、ヴォーカルはバロックから古典の演奏では日本のAクラスのメンバー。オーケストラは若手が中心。

今年はモーツァルト生誕250年。そしてモーツァルトの誕生日が1月27日ということにちなみ、モーツァルトの若い(というより子供)の頃の作品を中心とするプログラムである。私にとっては「雀ミサ」以外は初めて聴く曲だった。

最初の「昇れ、天への道を」はトランペット・ティンパニの入ったにぎやかな曲なのだが、オケはあまり鳴らず、またヴォーカルもちょっとザラついていた。

演奏会を聴くと、どの演奏会でもたいてい最初の曲は良く聞こえない。一般的には演奏者の体が暖まっていないから、と言われている。しかしそればかりでなく、聴衆側の問題もあると思う。最初の音が鳴った瞬間、それはたいてい自分が予想した響きと異なるからだ。今回は旗揚げ公演なので、このMATなる団体の音は聴いたことがないので、ホールとメンバーを見て予想した音と実際の音は違うのが当然だ。なので最初の曲はあまり良く聞えないのでは、と私は思う。そして曲が進むにつれ、演奏者は当然熱くなり、聴衆も響きに慣れ、だんだん良く聞えてくる、と私は思っている。今回もそのパターンだった。

最初はそうだったが、「キリエ KV33」あたりから本領発揮。オーケストラの弦の音は透明で表現力がある。ヴォーカルも、全般にテナーとソプラノが良かった。テナーの及川氏がすばらしかったと思う。

メインの「雀ミサ」はなかなかの好演だった。途中には「書簡ソナタ」(いわゆる教会ソナタ)というオーケストラだけの曲が挿入されたが、それもすばらしかった。

この演奏会は、旗揚げ公演としては大成功だったと思う。ホールが少々小さいこともあり、補助席まで出した満員の聴衆だった。しかし次回からは、音楽の方向を揃えることが必要、と思った。具体的には、指揮の坂本氏の求める音楽と、ヴォーカルのバスパートの音楽は少々乖離しているように思った。しかし恐らくはあまり多くないリハ回数でこのレベルまで演奏できた坂本氏の手腕は大したものである。

なおトランペットはもちろんナチュラルトランペットである。ハイトーンをほとんどはずさずに見事に吹いていたが、なんとアマチュア奏者であることを付け加えておく。

次回以降の演奏会が楽しみな団体である。

カストリ焼酎

2006年1月2日 (月)

冬の夜長はお湯割り焼酎に限る。私は焼酎が好きで、特に個性の強い焼酎ほど好きである。一番の好物は、吟醸香の強い日本酒と間違うような米焼酎。黒糖・芋・紫蘇・胡麻も好きである。麦は私にとっては個性不足なのであまり飲まない。

さて、歴史的な焼酎といえばカストリ焼酎。安酒の代名詞のような酒で、戦前の小説には良く登場していた。しかし私が酒を飲むような年齢になったときにはもうそれは存在していなかった。一昨日の大晦日、近所のスーパーでそれを見つけてしまった。「カストリ」ではなく「粕取」。そうか、カストリとは酒粕を蒸留した焼酎のことだったのか、とそのとき気が付いた。酒粕を蒸留したのなら、米焼酎好きの私にとっては大好きなはず、そう思って購入した。価格は1,000円程度。安酒どころか、焼酎としては結構高い方だ。

これは宝酒造の粕取焼酎「日の本」という、右翼っぽいネーミングの酒。このブランドは明治からあったそうな。

正月のため宝酒造のWEBサーバは動いていないようである。宝酒造WEBページのgoogleキャッシュによれば次のような酒である。

“白壁蔵 粕取焼酎「日の本」”は、清酒「松竹梅」の酒粕を使用し、松竹梅白壁蔵※1で造った、華やかな吟醸香と濃醇な味わいが特長の粕取焼酎です。商品名は、宝酒造の発展の原点である「日の本焼酎※2」から採用しました。また、パッケージは「日の本焼酎」が販売された明治・大正期をイメージした薄水色の壜、機械式の栓を採用し、レトロなデザインに仕上げました。

また「日の本」ブランドは次のとおり。

1910(明治43)年に愛媛県宇和島のアルコール製造会社「日本酒精(にほんしゅせい)株式会社」が製造を開始した連続式蒸留機を使用した日本初の新式(甲類)焼酎。当時は、消費者の慣れ親しんだ旧式(乙類)焼酎の味を意識して粕取焼酎をブレンド、「ハイカラ焼酎」として大変な人気となりました。

なるほど、甲類焼酎に粕取焼酎をブレンドした焼酎だったのか。

さっそく飲んだ。栓を開けると、甲類的なアルコールの臭いとともに、酒粕の香りがただよってくる。ストレートで一口。うん、酒の吟醸香が広がって実にうまい。早速お湯割りで飲んだ。ただ度数は25度で普通なのだが、なぜか回りが早かった。でも通常の焼酎がそうであるように、今日の二日酔いは無しである。

この「日の本」は昨年9月27日発売で、全国13,800本の限定販売とか。もう入手できないかもしれない。WEBで調べたら他のメーカーの粕取焼酎を見つけたので、次回はそれを飲んでみることにしよう。

 

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