J.S.バッハ/カンタータ第21番を聴いて

2007年7月1日 (日)

昨日(6月30日)、下記の演奏会を聴いた。

Soli Deo Gloria<賛美と祈りの夕べ> Vol.233
—三位一体の祝日後第三の日曜日のために
聖書朗読 廣田登 牧師
バッハ カンタータ第21番
Ich hatte viel Bekuemmernis<わがうちに憂いは満ちぬ>BWV21

日本キリスト教団 本郷教会礼拝堂(東京・上荻)

ソプラノ 今村ゆかり
アルト  柴田圭子
テノール 依田卓
バス   淡野太郎/中村誠一

ユビキタス・バッハ
ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京
メンデルスゾーン・コーア有志

このグループは、その日(近傍)の教会暦にちなんだJ.S.バッハのカンタータを聖書の朗読付きで演奏している。「Soli Deo Gloria<賛美と祈りの夕べ>」というタイトルで、年に10~20回演奏しているようで、今回はその233回目の演奏会。233回とは飽きっぽい私からは想像もできない回数。本当に地道に活動を続けているグループだ。器楽は「ユビキタス・バッハ」。合唱は「ハインリヒ・シュッツ合唱団・東京」に、今回は「メンデルスゾーン・コーア」有志が加わった演奏。

教会での聖書朗読付きのカンタータの演奏なので、これは通常の演奏会とは形態が異なる。宗教色の強い演奏会であり、キリスト教徒にとっては宗教行事に音楽が付随しただけ、かもしれない。キリスト教徒の立場に立てば教会音楽を演奏する行為そのものが祈りであるから結果の音楽に対する感想は何の意味も持たないだろうが、私はキリスト教徒ではない音楽愛好家なのでこの演奏についての音楽的な感想を述べることにする。

一言で言うと、肉太の演奏だった。昨今のバッハの演奏は、モダン楽器であっても古楽器を意識した、音のふくらみや減衰を多用する演奏が一般的だ。しかし上記演奏はそれに逆行した、一昔前のバッハのスタイルである。ただ30年前のカール・リヒターのような強烈な音楽では全く無い。ちょっと地味で無骨ではあるがフレーズの大きな音楽を作ろうとしていることはわかった。

指揮の淡野太郎氏はバッハゆかりの地であるライプチヒで歌っていた人物。そう、この音楽の作りはライプチヒ・ゲヴァントハウス・バッハオーケストラのスタイルなのだ。同オケの日本公演では、古楽器演奏を勉強せずに取り残された過去の遺物、のようなひどい演奏評が新聞に書かれていた。しかしそこには自分たちの音楽を自信を持って守るライプチヒの人々の存在が垣間見えていたように感じた。淡野太郎氏も、その数十年前のバッハ演奏のスタイルを守るその立場に立った演奏を目指したと思う。

しかし古楽器愛好家の私には不満は残った。たとえばオーボエ。この曲はオーボエ奏者にとっては一生のうちに一度は演奏したいオーボエの名曲らしい。しかしこの演奏、繊細さのかけらもない一本調子の演奏だった。最後にバテてしまっていたのは愛嬌としても、大変残念だった。

なおこの団体はモダン楽器によるモダンピッチの演奏であるが、一部にバロック楽器も入っていた。コンサートマスターはバロックヴァイオリン。またトランペットはナチュラル・トランペット。ティンパニもバロック・ティンパニ。しかし無理をしてバロック楽器を使用した効果は無かったように思う。たとえば第一曲。この曲のヴァイオリンはコンサートマスタ(バロック・ヴァイオリン)のソロで演奏していたが、オーボエとヴァイオリンが切々と物語ることには全く成功していなかった。そもそもバロックヴァイオリンではモダンオーボエと音量的にバランスの悪すぎることが大きな原因である。そしてバロックヴァイオリンの演奏スタイルも、バロックヴァイオリンなのにバロック奏法ではなかった。淡野太郎氏の目指す音楽がライプチヒのバッハなら古楽器の演奏スタイルの正反対のスタイルと思われるので、古楽器で演奏する必要はまったく無い、と私は思う。

技術的には、合唱はすばらしかった。聞くところによるとこの演奏会のための練習は直前の日曜日の1回だけらしい。1回だけでこのレベルまで歌える合唱団はすばらしい。また声楽ソロでは、ソプラノの今村ゆかり氏がすばらしかった。

この団体、今後も地道に宗教音楽活動を続けてゆくと思う。また半年・一年後に聴いてみたい。そのときも音楽はライプチヒスタイルのままか、または古楽器演奏的要素が加味されるか、興味のあるところである。

 

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