月別:8月2007年

つくつく法師

2007年8月20日 (月)

ここは農村。以前ほど蝉の数は多くないが、それでも都会よりは多い。いつもお盆の少し前からつくつく法師が鳴き始めるが、今年はまだ鳴かない。いままでと比べると異常に遅いと思う。Googleで検索してみると、数年前の話だが7月末からつくつく法師が鳴いている、という記事もあったので、やはり今年は遅いと思う。

一番暑い時期はお盆の付近だろう。その暑さのピークのときに秋を予感させるつくつく法師の声を聞くと少し寂しい気持ちがするのは、この声を聞くと夏休みももうすぐ終わりと思った子供時代の記憶のせいか。

と思っていたら、さきほどつくつく法師の初鳴きを聞いた。あまり元気はなく、すぐに鳴き止んでしまったが。

つくつく法師の鳴き始めがいつか、は私は記録していないが、鳴き終わりは一昨年から記録している。昨年(2006年)は10月17日だった。この日は天気は良かったがあまり気温は高くなく、数回鳴いて終わり、だった。

一昨年(2005年)は10月15日。それ以前は10月10日頃と記憶している。だから、昨年の10月17日はこの数年では一番遅い。

Wikipediaツクツクボウシによれば次のとおり。

成虫は7月から発生するが、この頃はまだ数が少なく、鳴き声も他のセミにかき消されて目立たない。しかし他のセミが少なくなる8月下旬から9月上旬頃には鳴き声が際立つようになる。9月下旬にはさすがに数が少なくなるが、南日本では稀に10月上旬に鳴き声が聞こえることがある。

私の住んでいる所は南日本ではなく関東地方だが、昨年は10月中旬まで鳴いていたことになる。気候の変動による影響か。

昨年はつくつく法師の鳴き終わりがこの数年で最も遅く、昨年から今年にかけての冬は暖冬。そして今年は鳴き始めが遅い。つくつく法師は暑さのピークを予想して地上に出て鳴き始める、とするのなら、今年は残暑は厳しくまだまだ猛暑が予想される、ということかもしれない。

昨日は涼しかったとはいえ、8月1日の梅雨明け以降の暑さは厳しかった。35度を超える日が続くなど、数十年前にはなかったと思う。その数十年前は厳冬が続き、地球は氷河期に入る、などという少々ガセネタっぽい本も出ていたことを覚えている。

今年春には蝶の少ないことが新聞記事にもなった。つくつく法師の鳴き始めの遅さといい、極端な気候の前触れでなければ良いが。

ある新聞社サイト

2007年8月18日 (土)

偶然面白い新聞社サイトを見つけた。大紀元日本(The Epoch Times)という新聞社のサイトだ。この「大紀元」という名前から日本の右翼新聞か、と思うかもしれないがそうではない。この新聞は「反中国」で塗り固められた新聞だ。(ということはある意味、つまり中国を左翼と考えればそれに反対するという意味で右翼だが。)

この新聞社はニューヨークに本社があり、世界30カ国にグループ社があるとか。そのサイトもさまざまの言語のサイトがある。日本語サイト上部には、簡体, 正体, English, Korean, French, German, Spanish, Russian, Ukrainian, Hebrew, Romania, Bulgaria 各言語へのリンクがある。

特徴は「反中国」と書いたが、「親台湾」ということもできると思う。このサイト、中国の裏事情を知るには格好のサイトだ。

このサイトでは”中共”という言葉が使われている。この言葉にお目にかかったのは数十年ぶりかもしれない。この言葉が死語になっている証拠は、Windowsの漢字変換で”ちゅうきょう”では変換できないのだ。ちなみに”中共”とは”中国共産党”のことで、この新聞社では中国国民の中国共産党脱退運動を支援しているようだ。

このサイトでは次のようなテーマを特集として追っている。

  • 中国の臓器狩り
  • 人権弁護士・高智晟
  • 中国官員亡命事件
  • 中国での集団事件
  • 法輪功関連
  • 鳥インフルエンザ

本日のトップニュースは中国浙江省:観光名所西湖地区、別荘誘致で住宅を強制撤去で、その一部を紹介する。

【大紀元日本8月17日】中国有数の観光名所・浙江省杭州市西湖周辺地区で、現地政府は別荘を建てるために、住民の家屋を強制撤去する事件が発生した。被害者の1人・葉さんの状況を追跡取材した。

杭州市西湖区転塘鎮大諸橋村の住民、葉金女弟さん(女弟で一字)の地下1階、地上3階の自宅は8月9日、現地政府の主導のもとで、強制撤去された。

現地住民によると、現地は観光名所・杭州市の西湖周辺に位置、別荘の販売価格が高騰、1棟あたりの販売価格が2000万元(約3億3千万円)に達する。そのため、現地政府は、暴利を得るために、農民の野菜畑や、茶園(現地は、銘茶・龍井茶の名産地)などを強制押収・売却し、合わせて198棟の高級別荘を建設した。いまでは、農民の住宅地までが標的になったという。

今回強制撤去された葉さんの自宅は4年前に建てられたばかり。「この家を建てるのに、夫婦のこれまでに蓄えてきた全財産を注ぎこんだ」という。

葉さんが陳述によると、自宅が建てられた翌年2004年、現地政府から強制撤去が通達された。自分の財産を守るために、葉さんは抗議行動に出たが、 2004年、自宅で警察から暴力を受け、背骨2本が折れた。父親も耳の鼓膜が破れるほど殴られ、意識を失ったことがある。北京で陳情を試みる葉さんの夫・斯明栄さんは86日間監禁された。母親も同じく陳情を試み、現地政府に逮捕すると脅迫されため、全国各地を転々し、3年間も放浪していたという。

中国政府による人権抑圧の報道もこの新聞社の重要なテーマのようだ。

政治的に面白い次の記事を見つけた。
中共上層部の内部抗争、策略をめぐらす暗闘白熱化
法輪功弾圧問題に揺れる中共最高指導部
中国:テレビに「共産党殺人党」、当局が報道禁止
中国臓器狩り:死刑囚のほか、監禁されている人も臓器強制摘出=カナダ国際医師組織
何清漣:多重の苦境に陥った「メイド・イン・チャイナ」

閑話休題的記事も面白い。
真夏に降雪、北京史上初
中国:不明発光物体続出、大連で2時間空中に停留

酷暑の北京に雪が降ったりUFOが出たり、何でもアリ、の中国だ。

私の持っている中国のイメージは、昔の日本以上に安かろう・悪かろう製品、強農薬の有毒野菜、人権抑圧だ。その人権抑圧、特に中国国家権力による過酷な人権抑圧の情報はなかなか耳にできなかった。今後この新聞社サイトで、その情報をチェックすることにする。

ケント・ナガノのライン

2007年8月16日 (木)

一昨日の記事ケント・ナガノのジュピターの続編。

昨晩深夜、CS放送のクラシカ・ジャパンで次の放送を見た。

シューマン:交響曲第3番変ホ長調『ライン』
[指揮]ケント・ナガノ
[演奏]ベルリン・ドイツ交響楽団
[収録]2005年フィルハーモニー(ベルリン)、約45分

前半がナガノの解説付き映像、後半が全曲続けての演奏。私が見たのは後半だった。

一昨日の記事で私は次のように書いた。

私は古楽器愛好家なのでモダン楽器のオーケストラはあまり聴かない。ただ一部の指揮者の演奏は聴く。その指揮者の共通点は、声部の明瞭な分離だ。つまり各声部がクリアに分離されすべての声部が聞き取れるような演奏のことであり、私はそのような演奏が好きだ。

ケント・ナガノは私にとってそのような指揮者の一人である。彼のメシアンのCDはたまにではあるが聴いている。

今回の『ライン』も、各声部がよく分離して聞こえた。シューマンの交響曲をこのように演奏することは非常に難しい。その分離の良い理由は、フレーズ最後の音の処理にある。最初の数小節を聞いてそれがわかると同時にちょっとがっかり。というのは、シューマンをこのように演奏することは恐らくデイヴィッド・ジンマンが始めたことであり、その延長上にナガノの演奏はあるからだ。ジンマンのシューマンの呪縛からはナガノといえども逃れることができなかったのか。それなら一昨日のジュピターももっと古楽器を意識すれば良かったのに。それが私のがっかりした理由だ。(古楽器でロマン派の音楽を演奏することはガーディナーが始めたことだが、シューマンを古楽器的にモダン楽器オーケストラで演奏することはジンマンが最初だと思う。)

デイヴィッド・ジンマンの古楽器を意識した演奏と比較すると、ナガノはジンマンほどは古楽器的ではない。しかし要所のフレーズの最後をきちんと減衰することで、見事に各声部が聞えてくる。またナガノの演奏はナガノらしく理知的で整っている。もちろん音楽は最終的にはナガノのものでありジンマンとは全く異なってはいる。

オーケストラは一昨日の記事のジュピターと同じだが、コンサートマスターや管楽器の一部は別な奏者。今回の『ライン』のほうがオケはかなり上手いし、手馴れた感じがした。ベルリンの人間にとってモーツァルトよりはシューマンの方が自分たちの音楽なのかもしれない。ただオーボエはジュピターとは別人だが、ドイツの音色では全くなく、非常に軽い音だった。そしてその楽器もドイツではあまり使用されないシステム(セミオート・システム)だった。ドイツのオケは普通はフルオートなのに。これはちょっと意外だった。

さて、このブログmoMologueには前身のブログがある。昨年、2006年1月16日にその前身ブログにジンマンのシューマンについて書いた。それもご覧いただければ幸いである。

ケント・ナガノのジュピター

2007年8月14日 (火)

昨晩、CS放送のクラシカ・ジャパンで次の放送を見た。

モーツァルト:交響曲第41番ハ長調K551『ジュピター』
[指揮]ケント・ナガノ
[演奏]ベルリン・ドイツ交響楽団
[収録]2005年フィルハーモニー(ベルリン)

ナガノの曲目解説付き映像だった。

私は古楽器愛好家なのでモダン楽器のオーケストラはあまり聴かない。ただ一部の指揮者の演奏は聴く。その指揮者の共通点は、声部の明瞭な分離だ。つまり各声部がクリアに分離されすべての声部が聞き取れるような演奏のことであり、私はそのような演奏が好きだ。

ケント・ナガノは私にとってそのような指揮者の一人である。彼のメシアンのCDはたまにではあるが聴いている。

さてこのジュピターの演奏だが、この曲をナガノが入念に研究した跡がよくわかる演奏だった。ナガノの解説によればこの曲はさまざまな対比があり、その対比をモーツァルトが天才的手腕で統合した箇所が随所にあるとか。正反対の概念とその統合、という言い方もできるかもしれない。確かにそのような観点から入念に計算尽くされた非常に知的な演奏だった。オケ団員もナガノの音楽を汲み取り表現しようとしていることも良くわかった。

ただオケがそれほど上手くないのは残念。音が濁っている。番組中のインタビューで団員はナガノが透明な音色でに演奏したいことはよく理解していたが、出てきた音は透明ではなかった。

またインタビュー中でフルート奏者が、フルートは少しピッチを高く取ることの効果を話しており、そのとおりほんの少し高めに演奏していた。これは古楽器愛好家の私にとっては大変残念。古楽器奏者にとっていつもピッチを高く取るモダンフルート吹きは「天敵」のような存在。古楽器の世界ではいつも少し高め、はありえないからだ。まあ、この演奏はモダン楽器による演奏なのでこの点は批判できないかもしれないが。

驚いたのはチェロ。一瞬だが、古楽器の音がしたからだ。裸ガット(金属を巻いていないガット弦)のような倍音豊かな音がしたのだ。その後のチェロ団員のインタビューを見てその理由はわかった。このオーケストラは古楽器界の巨匠、アーノンクールが振ったことがあったそうな。そしてそのチェロ団員は、そのときの古楽器奏法と通常のモダン奏法の中間くらいでこのナガノ指揮ジュピターを演奏したとか。

それにしてもナガノは演奏がそうであるように非常に知的な人物だ。(少し暗いが。)スコアを入念に研究する指揮者のようで、彼自身の曲目解説でもその研究の深さはよくわかった。例えばひとつひとつのフレーズの意味をすべて考え抜いているようだった。

古楽器オケなら、指揮者はこれほど研究しないだろう。古楽器奏法に則って「普通に」演奏すれば、「モーツァルトらしい」演奏になってしまうからだ。(なにをもって「モーツァルトらしい」と定義するかはここでは述べない。)片やモダン楽器オケでは考え抜かないと良い演奏ができない。このあたりがモダン楽器によるモーツァルト演奏の難しさかもしれない。

国歌を間違えた政治家

2007年8月11日 (土)

少し前だが8月3日の毎日新聞記事ベルギー:次期首相候補、間違って仏国歌を熱唱について。

ベルギーの次期首相候補、ルテルム氏(キリスト教民主フランドル党)が、同国の建国記念日に、テレビ局の記者に国歌を歌うよう求められ、誤ってフランス国歌を歌った

祝賀会場の入り口で待ち構えた記者の求めにベルギー国歌ではなく、仏国歌「ラ・マルセイエーズ」を歌い、中継された。両国歌は曲・歌詞とも全く違い、初めは「冗談」との観測も出たが同月23日、同氏が謝罪。問題が大きくなった。

ほとんどの日本「国民」は同氏を政治家の資格無し、という感想を持つだろう。私の感想は全く異なる。政治家が国歌を間違えるようなベルギーという国の市民の国家意識の低さがうらやましい、と思ったのだ。

そもそもベルギーはフランス語圏、オランダ語圏の二言語圏があって対立している。国歌を間違えたルテルム氏はオランダ語圏。そして間違えた歌が相手側のフランス国歌とは、同氏がそもそも「国歌」という意識、さらには「国家」という意識が低いことを伺わせる。つまり同氏は、ベルギー国に所属する国民の意識ではなく、おそらくヨーロッパ市民の意識なのだろう。

翻って日本。某一家を賛美する歌を国歌として市民に強制する動きが急速だ。私の予想だが、将来「国歌侮辱罪」という罪が新設され、このブログのように「国歌」を揶揄したり、寝そべったりラーメンを食べながら国歌を聞くと逮捕される日が来るのではないだろうか。

それにしても日本を米国の属国として米国主導の戦争に巻き込まれる体制を作りつつある・作った小泉・安倍両氏は、国歌を歌えと言われたら米国国歌を歌うに違いない。

ちなみに私は国家を統治するシンボルである国歌・国旗というものに完全に反対である。このことについてはいつか話題にしたい。が、その前に政治を少し勉強する必要があるようだ。

それはさておき、私個人は「日本国民」ではなく「地球市民」でいたい。だから、国歌を間違えたベルギーの政治家に拍手。

(このブログでは、政治を論理的に考えることのできる人を「市民」、考えることができずに感情・ムードで政治を判断する愚民を「国民」と記している。)

 

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