ケント・ナガノのライン

2007年8月16日 (木)

一昨日の記事ケント・ナガノのジュピターの続編。

昨晩深夜、CS放送のクラシカ・ジャパンで次の放送を見た。

シューマン:交響曲第3番変ホ長調『ライン』
[指揮]ケント・ナガノ
[演奏]ベルリン・ドイツ交響楽団
[収録]2005年フィルハーモニー(ベルリン)、約45分

前半がナガノの解説付き映像、後半が全曲続けての演奏。私が見たのは後半だった。

一昨日の記事で私は次のように書いた。

私は古楽器愛好家なのでモダン楽器のオーケストラはあまり聴かない。ただ一部の指揮者の演奏は聴く。その指揮者の共通点は、声部の明瞭な分離だ。つまり各声部がクリアに分離されすべての声部が聞き取れるような演奏のことであり、私はそのような演奏が好きだ。

ケント・ナガノは私にとってそのような指揮者の一人である。彼のメシアンのCDはたまにではあるが聴いている。

今回の『ライン』も、各声部がよく分離して聞こえた。シューマンの交響曲をこのように演奏することは非常に難しい。その分離の良い理由は、フレーズ最後の音の処理にある。最初の数小節を聞いてそれがわかると同時にちょっとがっかり。というのは、シューマンをこのように演奏することは恐らくデイヴィッド・ジンマンが始めたことであり、その延長上にナガノの演奏はあるからだ。ジンマンのシューマンの呪縛からはナガノといえども逃れることができなかったのか。それなら一昨日のジュピターももっと古楽器を意識すれば良かったのに。それが私のがっかりした理由だ。(古楽器でロマン派の音楽を演奏することはガーディナーが始めたことだが、シューマンを古楽器的にモダン楽器オーケストラで演奏することはジンマンが最初だと思う。)

デイヴィッド・ジンマンの古楽器を意識した演奏と比較すると、ナガノはジンマンほどは古楽器的ではない。しかし要所のフレーズの最後をきちんと減衰することで、見事に各声部が聞えてくる。またナガノの演奏はナガノらしく理知的で整っている。もちろん音楽は最終的にはナガノのものでありジンマンとは全く異なってはいる。

オーケストラは一昨日の記事のジュピターと同じだが、コンサートマスターや管楽器の一部は別な奏者。今回の『ライン』のほうがオケはかなり上手いし、手馴れた感じがした。ベルリンの人間にとってモーツァルトよりはシューマンの方が自分たちの音楽なのかもしれない。ただオーボエはジュピターとは別人だが、ドイツの音色では全くなく、非常に軽い音だった。そしてその楽器もドイツではあまり使用されないシステム(セミオート・システム)だった。ドイツのオケは普通はフルオートなのに。これはちょっと意外だった。

さて、このブログmoMologueには前身のブログがある。昨年、2006年1月16日にその前身ブログにジンマンのシューマンについて書いた。それもご覧いただければ幸いである。

 

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