月別:8月2007年

日本国は借金大国ではなかった

2007年8月10日 (金)

日本国は借金大国。日本の借金時計によれば、本日現在日本の借金は約769兆円。この借金時計を見ると借金が刻々と増えてゆくのがわかる。本当の借金額はもっと大きいようで、6月末に財務省が発表した数値では債務残高は834兆円とか。

ところが森永卓郎氏の記事「順調に進む財政再建」をひた隠す理由によれば、日本の財政は順調に再建が進んでおり増税は不要、とのこと。こんな説を聞いたことはなかった。早速読んでみた。以下、引用する。

まず、わたしの目を引いたのは、債務残高の伸びが鈍ってきたという事実である。債務残高の増加額を、前年度と比べてみると次のようになる。

  2004年度  79兆円
  2005年度  45兆円
  2006年度  7兆円

 このように、ここ3年間で債務の伸びは急速に小さくなっていることが分かるだろう。実は、この債務の伸びの鈍化というのは、考えようによっては債務残高の額自体よりも重要なことなのである。

 それはなぜか。借金が多少増えても、経済規模の拡大がそれを上回れば実質的な負担は減るからだ。

確かにこの数値を見ると、債務の伸びは急速に小さくなっている。

そこで、債務残高の GDP比を計算すると、2005年度は 1.64倍だったのに対して、2006年度は 1.63倍と下がったことが分かる。2006年度は、債務は 0.8%(7兆円)しか増えなかったのに対して、名目成長率は 1.4%とそれより高かったからである。

 これはどういうことか。つまり、日本の財政再建の当面の目標が、昨年度で達成されたのだ。バブル崩壊以降、厳しい歳出削減を行いながら、ようやく財政再建目標が達成され、日本の財政が健全化の方向に歩みはじめたのである。

なんと、昨年度の債務の伸びは名目成長率より低く、それは「財政再建目標が達成され、日本の財政が健全化の方向に歩みはじめた」とのこと。このような大事なことを述べた人がいままでいないのは何故なのか?それは、消費税増税のため、と森永氏は言う。

消費税については、参院選の自民大敗を受けて、この秋からの増税議論が難しい状況になってはいるが、時期は別にして政府内ではもはや既定路線になっている。そして、国民もしかたがないと思いはじめている。その前提となっているのが財政破綻だ。

財政破綻しているから消費税増税もある程度はやむなし、と国民・市民は思い始めたのに、前提の財政破綻が改善しているとは。口をつぐんでいる政府は卑怯だ。

そればかりではない。借金額そのものがウソ、とのこと。

我が国の債務の内訳については、元文京学院大学の教授で、日本金融財政研究所の菊池英博所長は次のように推計している。

 2006年末の国の債務のうち、外貨準備が 100兆円、財政投融資 170兆円、社会保障基金 260兆円。これらはどれも裏側に資産のあるものだ。つまり、合計して 530兆円もの金融資産を持っているというのである。

 それを差し引けば、純粋な債務は 302兆円。これは GDPの6割にすぎず、西欧諸国と比べて高いわけではない。こうしたことを考え合わせると、やはり財政危機は脱したと考えるのが適当だろう。

なんだ、借金額は本当はもっと少なかったのだ。全然財政破綻などしていないではないか。この事実について言及しない政府は許せない。我々市民は政府の増税策を巡る行動を厳しく監視する必要がある。

ボキャブラリーを増やすには

2007年8月8日 (水)

私は語学が大の苦手である。コンピュータ言語なら覚えるのは得意な方だが、コンピュータではなく人のしゃべる外国語のマスターは大変苦手だ。英語、そのためにいままでにどれだけのお金と時間をかけたことか。そして英語勉強のためのハウツー本もどれだけ買ったことか。最近では5,6年前に流行った「英語は絶対、勉強するな」本も読み、数週間実践してみた。毎日1時間ほど英語のCDを聞いたが、眠くなるだけだった。

そもそも英語をマスターするモチベーションが弱いことも上達しない大きな原因かもしれない。言い訳するようだが、昔からアメリカという国が政治的な理由で大嫌いだったのだ。しかし、バッハの国ということでドイツは好きな国なのだがドイツ語も全然駄目だったので、やはり語学に向かない体質なのかもしれない。

ただ、いつか日本を脱出しなければならない日が来るかもしれない、と考えている。日本の急速な右旋回に危機意識があるからだ。そのような日は来て欲しくないが、そうなったときのために外国語のひとつはマスターしておかなければならない。家族はフランス語が得意なので私は別の言語にすべきだ。となると、私のマスターすべき言語は悔しいが英語、ということになってしまう。

私の場合、語学が苦手な原因は2つ。ひとつはまったく聞き取れないこと。もうひとつは圧倒的ボキャブラリー不足。前者については、楽器をやる人は聞き取り上手なので語学が得意な筈だ、と良く言われるがそうではないことは私が証明している。後者のボキャブラリーを増やすことについては、先日面白い記事を読んだ。ITMedia Newsの幼児のボキャブラリー急増メカニズムに新説という記事だ。これは米科学誌Scienceに発表された、幼児が生後18カ月前後に急激にボキャブラリーを増やすメカニズムに関する研究だ。

アイオワ大学のボブ・マクマレイ助教授によると、子供に「ボキャブラリーの急増」が起こるのは、難易度が異なる単語を同時に繰り返し学ぶという単語習得の方法によるものだという。

ちなみに今までの学説は次のとおりだったそうだ。

「発達心理学や言語発達の分野ではこれまで、ボキャブラリーの急増を説明するのに、ある時点で子供に何らかの変化が起こるからだと仮定してきた」とマクマレイ助教授。子供が「ものには名前があることを発見」したり、「より効率的なメカニズムを使い始め」たり、「習得した単語を使って、新しい単語を発見し始め」たりすることが理由だとされてきたという。

そうではなく、次のメカニズムとのこと。

一方、同助教授は、コンピュータシミュレーションと数学的分析を行った結果、単語はある一定数の繰り返しを行えば習得できると考える。習得が簡単な単語を小さな瓶、難しい単語を大きな瓶に例えると、その単語に接するたびに瓶の中身が増えていき、中身がいっぱいになったところでその単語を習得できるというメカニズムだ。簡単な単語(小さな瓶)よりも難しい単語(大きな瓶)の方が多いため、一定の時間が経ってから習得できる単語(いっぱいになる瓶)が急激に増えるのだという。

訳が良くないので言いたいことが完全には伝わってこないが、結論は次のとおり。

このメカニズムを踏まえてマクマレイ助教授は、「一度に複数の単語を学ぶこと、簡単な単語よりも、難しい単語をより多く学ぶこと」が単語習得に大きく影響するとしている。

なるほど、難易度の異なる単語を勉強すること、それも難しい単語をより多く学ぶことが大事とのこと。この研究は幼児についてのものだが、大人だってこの傾向があるだろう。この反対ということはありえないだろう。つまり、大人も単語を勉強するときは、難易度を取り混ぜ、かつ難しい単語をたくさん学べばよい、ということになる。さらにこの考えを敷衍すると、新しいことを勉強する際にも難易度の異なる内容を学習し、かつ難しい事も取り混ぜて難しい内容をたくさん学習すれば身に付きやすい、ということになる。

確かに今までに自分のやってきたことを思い出すとそうかもしれない。それまで知らなかったコンピュータ言語やコンピュータサイエンスの学習、また楽器の学習の経験では、短期間に集中して難しい内容までも学習・練習したほうが修得率が高かったかもしれない。理解できる範囲の内容の学習やできることの練習だけをやっていては修得・上達のスピードは遅いかもしれない。私の経験なので一般論にはならないが。

ということで、私の英単語の勉強法は決まった。問題はそれをいつやるか、だ。

参議院選結果の再考と二大政党

2007年8月6日 (月)

先週の参議院選を受けて私はこのブログに記事もしすべて比例区ならを書いた。その中で私は、参議院は選挙区は不要であり比例区のみとすべきであると述べ、今回の参議院選が比例区のみだったと仮定して当選者の試算を行った。その結果はその記事をご覧いただくとして、その先を考えなければならない。

最初に検討すべきことは、この試算の正当性である。この試算が国民・市民の総意を反映しているのなら正当といえるが、残念ながら完全には反映はしていない可能性が大なので正当なものではない。あくまでも一定の傾向は判断できる「試算」である。その理由は、有権者が選挙区と比例区により票を使い分けた、ということである。選挙区は小選挙区なので死に票が出るため票を有効に行使するためには(意にそぐわなくても)二大政党から選ばなければならない。逆に比例区は小政党への票も生きるので自分の意中の政党に投票できる。ということは、今回の参議院選の選挙区の票数は国民・市民の純粋な意思を反映したものではなく、二大政党に偏った票数と考えられる。もし選挙制度が比例区のみだったら、二大政党の票数は減り小政党の票が増えた可能性が大である。

そこで試算の続編として、比例区の得票数のみで当選者数を試算してみた。

政党名 試算1(選挙区+比例区) 試算2(比例区) 実際の当選者数
自民 36 34 37
民主 48 48 60
公明 12 16 9
共産 10 9 3
社民 4 5 2
国民 2 3 2
日本 2 4 1
諸派 2 2 0
無所属 5 0 7

試算1は前回のブログ記事の数字で、選挙区+比例区の総得票数による議席配分。試算2は比例区のみの得票数による議席配分。
この表から次のことがわかる。

  1. 自民は比例区のみ配分では34議席と、宇野内閣時より少なくなる。この数字が全面に出れば安倍さんは辞めざるを得ないだろう。
  2. 民主は試算ではどちらも48。実際は60議席だったので選挙区の恩恵を最も得た政党は民主党だ。
  3. 組織が固い公明は比例区のみ試算では大躍進。
  4. 共産、社民は試算の方法により1名の増減があるのみ。

ということで、2つの試算を披露した。どちらが本当の民意に近いかは不明だが、現在の選挙制度が民意を反映した結果にならないことは確かである。民主党の得た60議席のうち12議席、つまり1/5は選挙制度による「利得」ということになる。

となると問題は、議席数は民意をできるだけ正確に反映すべきなのか、その必要はないのか、ということになる。

私の意見は、先の記事で述べたように、参議院はチェック機関でなければならずかつそこは良識の府の必要があることから、ブレが少なくかつ民意をできるだけ反映する結果となる選挙制度が望ましい、と考える。つまり参議院は比例区のみだ。

参議院と比べ、衆議院は民意を「若干」拡大した結果となるほうが良い、と考える。理由は、政権交代の機会の増大だ。日本の政治の腐敗の主な原因は、政権交代がほとんどなかったからと考える。政権交代の緊張はすべての政党に必要なのだ。そのためには、安定した結果となり易い比例代表制よりは、少し選挙区の小さな選挙制度が望ましいと考える。しかし現在の衆議院選挙の小選挙区は小さすぎるので結果が極端になり易い。前回衆議院選の小泉圧勝のように。従って、以前の中選挙区程度かそれより大きなサイズが望ましいと考える。

ここで逆の思考も必要になる。現在の小選挙区の結果生まれたのが、自民・民主の二大政党だ。この小選挙区制度のせいで、小政党は埋没してしまった。ならば、日本には同じような規模のいくつの政党が必要なのかを考え、それを実現しやすい選挙制度を次に考えなければならない。

さて日本には政党がいくつ必要だろうか。私は現在の二大政党では少ないと考える。つまり、現在の二大政党はどちらも右派なのだ。左派の受け皿は小政党しかないのだ。左右両派の受け皿がほぼ同数、が望ましい政党数と考えている。具体的には、私の理想の日本の政党は次のとおりだ。

  • 最右派政党
    現在の自民党・民主党の最右派から構成される政党。
  • 中道右派政党
    自民の大半と民主の一部から構成される政党。
  • 中道左派政党
    民主の大半と社民党から構成される政党。
  • 最左派政党
    民主の一部と市民運動家から構成される政党
  • 環境政党
    地球環境保護・地球生物と人間との共存をメインスローガンとする政党。旧来の左派・右派のカテゴリーとは別。

共産党は上記には含めない。彼らは上記政党に含まれるつもりは全く無く、ずっと独自路線を歩むと思われるからだ。それから、日本の政党に宗教は不要と考える。

このような政党がほぼ同じ規模で存在すれば、日本の政治は大変面白くなる。合従連衡が必須となり、政治に緊張が生まれるからだ。政策・法案毎に別の組み合わせとなる可能性もあり、この緊張感は政治の質を高め「国民」の政治意識を高めること間違いない。

このような4~5大政党は小党乱立のイタリアのように政治の混乱を長く招くので避けるべきだ、という意見が必ず出ると思う。しかし私は、政治の混乱の何が悪いのか、と思う。そもそも日本人は議論を避ける傾向がある。小泉前首相のように議論を封ずるとは論外。政治の混乱が活発で生産的な議論を生めば、これは日本の政治にとって大きな進歩となること必定だ。

猫言語、違った、Neko言語

2007年8月4日 (土)

私は最近、動的言語に興味を持ち使い始めている。興味の対象はPythonとRubyだが、特にPythonに興味を持ち、そのWEBアプリケーションフレームワークであるTurboGearsを使い始めたところだ。そのあたりの話題はこのブログで私のPython事始を始めいくつかの記事がある。

私は言語おたくではないが、この業界で生き残るために言語の研究・調査は怠らないようにしている。たとえば15年以上前、C++処理系が無かったころ、Guideline C++なる処理系を米国から購入したこともあった。Actorなるオブジェクト指向言語と開発環境(結構高かった)を購入したがそのプラットホームのWindows3がまともに動かず金をドブに捨て、などということもあった。もちろんPascal系言語にも興味を持ち、Delphiも購入して調査した。そして最近はフリーライセンスの動的言語が興味の対象だ。

新言語の話題を聞くととりあえず調査するようにしている。昨日初めて知った言語が「Neko言語」だ。この言語は昨日のマイコミジャーナルの記事主要プログラミング言語となりえるか!? 注目のNeko 1.6.0登場で知った。

この言語に興味をもった理由は単純、そのネーミング。動物が嫌いではない私は”Neko”というネーミングに惹かれ、早速その言語のサイトNEKOを見た。笑ってしまった。左上のNEKO言語のロゴは猫ではなく「狼」だった。

マイコミジャーナルの記事によればNEKOの特徴は次のとおり。

Nekoは動的に型付けされたスクリプトタイプのプログラミング言語。それ単体で動作させることも、ほかの言語に組み込んで動作させることもできる。また、ほかのプログラミング言語に対するランタイムプラットフォームとしても動作するという特徴がある。Neko自体は学習が簡単なスクリプト言語。C言語から実行することができるほか、C言語を使って機能を拡張することも可能。

Nekoはプログラミング言語としてはかなり後発の言語に当たる。現在主流で使われているプログラミング言語の特徴を研究して、シンプルでありつつも強力であるように設計されており、今後の展開がかなり注目されるプロダクトだ。

後発の言語は有利だ。ここの書いてあるように「現在主流で使われているプログラミング言語の特徴を研究」して良いとこ取りができるからだ。その点、少々古いPythonは不利な面もある。

NekoサイトによればNekoコンパイラはNeko自身で記述されているとか。これは凄い。動的スクリプト言語のコンパイラがその言語自身で記述されることは少ない。言語の問題ではなく実行速度の問題が大きいからだ。Nekoのヴァーチャルマシンは軽量で速いとNekoサイトには書かれているが、そうなのだろう。Nekoにはmod_nekoモジュールがありWEBサーバApacheに組み込める。このNekoサイトはそれで動いているらしい。確かにこのサイトは動的サイトなら速いと思う。

Nekoサイトにあったソース例から。

var x = 3;
$print(x);

varを使うのはJavaScript的だ。

var x = 3;
f = function(x) {
	$print(x);
}
f("neko"); // print "neko"

fは関数ポインタをうまく隠蔽している。

もちろんオブジェクト指向言語だ。

o = $new(null);
o.x = 1;
o.add = function(y) { return this.x + y; }
$print(o.add(2)); // prints 3

新言語がアプリケーション(私の場合はWEBアプリケーション)に使えるかどうかは、言語の設計の問題よりは日本語処理と周辺ライブラリの充実の問題のほうが大きいと私は思う。

Nekoの場合、UTF8文字列は使用できるようだがそれ以上の日本語処理はどうなのか、周辺ライブラリはどの程度充実しているのか、今後見極めて行きたい。

ノリントンの第9

2007年8月3日 (金)

先日このブログで演奏会案内/ベートーヴェン・第9という記事を書いた。ふと古楽器によるベートーヴェン・第9の演奏を聴きたくなり探したところ、ロジャー・ノリントン指揮ロンドン・クラシカル・プレイヤーズ演奏の映像があったので早速見た(聴いた)。

この演奏、クラシカル楽器による演奏である。クラシカル楽器はご存じないかたも多いと思うが、バロック楽器とモダン楽器の中間に位置する楽器で、ハイドン・モーツァルト・ベートーヴェン当時の楽器と思えば間違いない。

弦楽器は弓がクラシカル弓。ヴァイオリンのクラシカル弓の形はバロックよりモダンに近いが弓の毛と棒の間隔が広いように見える。

金管楽器はナチュラル楽器。ナチュラルホルン、ナチュラルトランペット、サックバット(トロンボーンの前身)。ホルンはナチュラルなのでバルブはなく、右手のハーフミュートで音程を変えて演奏する。

木管楽器は、バロック楽器にキーが増えたような楽器。たとえばフルートは、バロック時代のフラウト・トラヴェルソと管の形は似ているがキーが増えている。オーボエはバロックオーボエとは形が少し異なり、現代のウィーンフィルで使用されているウィンナオーボエに形が似ている。キーの数もバロックオーボエよりはかなり多い。音色もウィンナオーボエに似ているがそれよりソフトである。

そしてこの演奏のピッチは恐らくA=430Hz。クラシカル楽器による演奏は通常430だ。現代のオーケストラのピッチである440~445(通常442)より約1/4音だけ低い。ちなみにバロック楽器のピッチは通常415で、フレンチピッチ(ベルサイユピッチ)は392である。

さてこの第9の演奏の特徴は、きびきびとした速いテンポ。ノリントンはベートーヴェンのメトロノーム指示を丁寧に守っているらしい。ただ2楽章のメトロノーム指示のないPrestoが意外に遅く、驚いた。ちなみにベートーヴェンの使用したメトロノームはテンポが狂っていたという説が一般的である。指示を守った演奏は少なく、守るとかなり速く感じられる。

もうひとつの特徴は、弦楽器のノンヴィブラート。その結果として、音程の悪さがかなり露呈している。難しそうではないのに音程が悪い、と思う箇所がかなりあった。第4楽章冒頭のコントラバスもかなり音程のずれた音があり、驚いた。ちなみに弦楽器は古楽器だから音程が悪い、ということは有り得ない。奏者のレベルの問題かもしれない。プロでもこうなのだからアマチュアはノンヴィブラートの真似をすべきではないかもしれない。

ちなみに管楽器は古楽器のほうが音程が悪いと思われているがそうではない。楽器によりある特別の音だけが不安定になることはあるが、それ以外の音はモダン楽器より音程が良い。

と少し悪口になったが、ノリントンの音楽そのものと指揮ぶりは大変変化に富んで面白いものだった。

 

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